1966(昭和41)年に武田泰淳が発表した『神経衰弱と女性』(『漱石全集第5巻月報5』、岩波書店刊)は、「漱石の小説には、神経衰弱とはエンもユカリもない男と、どうしても神経衰弱からはなれられない男が出てくる」という一文で始まるが、この短い漱石論の中で、泰淳は、漱石の作品に登場する神経衰弱的な男と非・神経衰弱的な男とでは、女性との関わりが異なるとして、次のような議論を展開する。
まず、『坊っちゃん』や『三四郎』のような非・神経衰弱派の男たちは、「神経衰弱を無視できたと同じ程度に、女性をも無視することができている」。彼らは、「神経衰弱的なするどさ、執念ぶかさ、不可解なほどの底ぶかさで女性にかかずらおうとはしない」のである。
それに対して、「漱石の女性たちがいきいきと輝き、人間の多様性を画面一ぱいにくりひろげるのは、実に、神経衰弱派がムニャムニャとつぶやきはじめ、内省的な男どもの暗さが、行動グループの明るさを、雲か霧でつつみかくし、おしのけはじめてから」なのであって、『彼岸過迄』の須永や『行人』の一郎のような神経衰弱的な男の出現と同時に、「1秒のくるいもなくピッタリと、女性描写が魅力を増してくる」。泰淳によれば、「彼女たちは、神経過敏な男たち(多くはまぎれもない知識人)をおびやかしたり、困らせたり、不意打ちをくわせたり、ひきよせたり突きはなしたりする」のであり、女性のスピリットはつかみがたいと男どもが低迷しはじめるときから、漱石の女性は、近代小説中の人物として彼女たちの生を生きることができるようになるというのである。
その上で泰淳は、漱石文学に登場するのが非・神経衰弱的な男だけであれば、「彼女たちはとてもあれだけの魅力を発揮できなかったにちがいない」として、この貴重な神経衰弱が漱石に絡みつき、絞り尽くさなかったら、須永の恋人や一郎の妻は、男性の批判者としての本質を示さなかったはずである、と結論する。
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