島尾敏雄が1955(昭和30)年に発表した『のがれ行くこころ』と、1957(昭和32)年に発表した『転送』(『島尾敏雄全集第7巻』晶文社刊)には、精神科病院に入院した主人公の妻の脱院騒動と、それに伴う看護師の態度の変化が記されている。
『のがれ行くこころ』には、精神科の閉鎖病棟に入院した妻を介護するために、妻とともに病棟生活を送ることになった主人公の安堵感が、「出入口の扉の錠前で外界から保護されその上金網や格子や高い板塀、有棘鉄線などで世間と勝手に往き来のできない精神病棟に入れられたことは、願ってもない絶好の環境であった」と記されている。主人公は、外界から閉ざされた閉鎖病棟に、外界の刺激から遮断された安全で保護的な空間という肯定的な意味を見出しているのである。
そんなある日、主人公は病棟の廊下で、患者同士が次のような話をしているのを聞く。「だいたい鍵をかけたり塀をたてめぐらしたり監獄みたいにして閉じこめて置くから逃げ出したくなるんだね。おれたちは罪人じゃないんだから。こんな所に押しこめられて1週間も2週間も治療をしないで放っておかれたのじゃ、誰だって逃げ出したくならあね」。
しかし、閉鎖病棟にそれなりの居心地の良さを感じていた主人公は、「ここの患者が逃げ出してみたところでどこに落着く場所があるというのか。世間の生活に適応できないからこそここにはいっているのではないか。多分自分のうちに帰って行くのだろうが、どうせ又家人に連れ戻されるのがおちなのだ」と思うのだった。
また、主人公は、患者が脱走した後の病院側の反応に思いをめぐらして、「脱走患者は看護婦の心証をひどく害してしまう」、「彼女たちの勤務の手落ちになる厄介なことをわざわざやってみせてくれる患者に好意が断ち切られてしまうのも尤もなことだ」とも思って、同情した。
そして、さらに想像を逞しくした主人公は、脱走事件が頻発すれば、脱院者は一層厳重な個室に入れられ、病院は堅固に武装しかねないが、その結果、「もし火事や大地震やそしてえたいの知れぬ予測できない変異があったとき、病棟内はそこだけ外界から遮断された一個の孤独な浮島になってしまう」という恐怖を抱く。「私たちは一にぎりの人いや真夜中なら夜勤帽をきりりとかぶって看護婦の純白の制服に身をまとってはいるがまだ経験の未熟なたった二人の若い娘の手中にそのいのちを預けている」。
これは、閉鎖病棟で暮らした者ならではの不安であるが、主人公がそんなことを考えている最中に、主人公の妻が脱院する。彼女はある夜、子どもたちに会いたくなって病院を抜け出したものの途中で道がわからなくなり、5時間ほどで病院に戻ってきたのだが、この事件を契機に病棟の看護師の態度が一変するのである。
『のがれ行くこころ』の2年後に発表された『転送』には、妻の脱院騒動後の看護師の態度の変化が描かれている。
脱院騒動の後、主人公には、「医師と看護婦の私たち夫婦への態度が急によそよそしくなったように思えた」。特に、「看護婦のそれは、接触が多いだけにひどくこたえた」と語る主人公は、看護師たちの態度の変化を、次のように述べている。「用事があって看護婦室にはいっても、それまで若やいだ声で話しあっていた彼女たちは急にとりすましてしまう」、「こちらの用件をきり出す前に待ち受けて応じてくれた彼女たちのやわらかな応対はもう見られない」。
脱院騒動後、主人公も妻も、どこといって変わったわけではないのに、看護師たちの態度が変わってしまったと、主人公は言いようのない寂しさを覚えているのだが、最も目立ったのは主任看護師の変化だった。
この病棟の主任看護師はそれまで、主人公の妻のために布人形をつくったり、季節の草花を持ってくるなど、主人公夫婦に好意的な態度を示していた。「彼女の伏し眼がちのおびえた物の言い方は妻を一層安堵させた」し、「多くの看護婦の傾きやすい横柄な物言いと、患者を赤子扱いにする権高い姿勢を、珍しく彼女はもっていない」として、主人公は、この主任看護師に厚い信頼を寄せていたのである。
彼女を評価しているのは、主人公ばかりではなかった。「患者の中には彼女にいくらか伝説的な尊敬をよせる者がいた。それは彼女が病院当局や医師たちに対立してまでも患者の側の代弁者になってくれるという期待からであった」、「彼女が看護婦たちの組合の指導の立場に立ったことが婦長になれずに次席の主任にとどまらせたといううわさが、彼女の伝説に真実さを加え、すると外見の静かな暗さはむしろそれを助長した」など、この主任看護師は多くの入院患者から信頼される看護師だったが、そんな彼女ですら、妻が脱院した夜を境に、態度を替えてしまったのである。
この看護師にしてみれば、あれほど親切にしてやったのに裏切られたという思いでもあったのか、それまでの主人公夫婦への積極的な関心は影を潜めて事務的な態度になり、主人公が近づこうとしても冷やかな拒絶で迎えられた。
結局、主人公夫婦は閉鎖病棟から開放病棟に移るように言い渡されるのだが、その時も主任看護師は、転棟に備えて洗濯している最中にやってきて、「今から移って下さい。お荷物はこの車で送らせます。あとの患者さんがもうきているのです」と言い渡すだけだった。
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島尾の妻が精神科病院に入院していたのは1955(昭和30)年のことであるから、ここに描かれていることには当時の体験が反映されていると思われるが、この懲罰のような形の転棟に対しては、日頃看護師に共感的だった主人公ですら、「理不尽なむごい仕打ち」と感じている。実際、この突然の転棟で、彼ら夫婦はそれまで親しくしていた看護師や患者に碌な挨拶もできぬまま慌しく病棟を去っている。
脱院騒動を起こした患者をあえて開放病棟に転棟させた病院側の意図はわからないが、少なくとも患者・家族に十分な説明がないままこのような決定がなされたことは、脱院騒動後の看護師の露骨な態度の変化とともに、当時の精神科病院のあり方を考えさせるものがある。
島尾敏雄は、精神科病院での患者処遇に疑問を呈した先駆的な作家でもあったのである。