その少年は8歳、小学3年生の春に食道の大きな手術を受けて、大学病院に何カ月も入院していた。術後の数週間は経鼻経管栄養で口からは食事ができない。付添いの母がベッド脇で食事をする姿を見るだけでも、おいしい感覚を得られると知った。やがて経鼻チューブも抜けて徐々に流動食から普通食になった。そんなある日の夕食に、丸ごとのニンジンが1本ごろんとお皿の上に乗っていた。ただ煮付けただけのような何の愛想もないニンジンだ。
なにぶん小学生なので嫌いな食べ物の筆頭だ。「うわっ、なんだこの丸ごとのニンジン!やだな~。ニンジンは嫌いなのに」と心の中で嘆いた。しかし、他に選択肢はなく、がぶりと食べた。と、不思議な感覚に包まれた。「あれ、なんかちょっと甘いな?」。確かに少し甘めに煮てあったのかもしれない。「ニンジンって苦くてまずいだけじゃないんだ」と、初めて「おいしいもの」だと感じた。やがて少年は退院し小学校に復帰したが、無理なく食事を摂れるようになるには数年を要した。しかしニンジンが嫌いと思うことはもはや一度もなかった。給食のニンジンも、むしろ愛おしく感じた。こうして普通に食べられるのはなんてありがたいんだろう。
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