今年は冬至が12月22日、ずいぶんと日が短くなってきました。あまり知られていないようですが、日の出がいちばん遅いのは年明け、日の入りがいちばん早いのは12月初旬と、すこしずつ冬至からずれています。
寒くなってきたが、がんばって公園のラジオ体操に通い続けている。NHK第二での放送は6時半からだけれど家を出るのは6時なので、まだ真っ暗である。そんな中、毎日しっかり働いている人たちがいる。
おむすびと唐揚げだけという小さなお店のおばさんは、たぶん5時頃から働き出しておられるのだろう。前を通りかかる6時過ぎには、唐揚げを揚げるいい匂いが漂っていて、ちいさなショーウィンドウにはおむすびがかわいらしく並び始めている。
さして人通りの多い場所ではないし、そんな時間に歩いている人も多くない。なのに、どうしてそんなに早くから開けておられるのか、いささか不思議である。いちど理由を聞いてみたいのだが、その勇気はない。
こちらは毎日ではないけれど、その近くの公園の角には不思議なおじさんが座っている。空き缶をいっぱい入れた大きなビニール袋を10個近く載せた、というか、くくりつけた自転車が横に置いてある。下世話なことだが、売ったらいったいいくらくらいになるのかが気になってしまう。
夜中から朝にかけて集めてこられたのだろうか、量が量だけに相当な労力を要するに違いない。そのおじさんが不思議なのは、いつも同じ姿勢で、うつむき加減に、腕から外した腕時計をじっと見つめておられることだ。まるで何かを待っているかのように。気になって仕方がないが、もちろんこれも尋ねる勇気などない。
市場には生鮮物を運び込むトラックが来始め、それを待ち受けるおじさんたちがいる。花屋さんでは、10人近くの人たちが、たくさんの花を箱から出して花束へと仕分けしていかれる。
夏の間はそうでもなかったけれど、冬になっていろいろなことが気になり出した。暗くて寒いうちから働いている人がたくさんおられる。そういう人たちに世の中が支えられてるんや。感謝せなあきません。
公園でラジオ体操する人の数がずいぶんと減ってきた。とはいえ、思っていたより多くて、春から秋の半分~3分の1くらいといったところだろうか。なんとなく気分はサバイバルゲームである。聞いたところによると、10人程度でやっておられるラジオ体操会場では、最高齢参加者が92歳ということもあって、クリスマスから2月いっぱいはお休みされるらしい。そら、ラジオ体操で体を壊したりしたら、しゃれにもなりませんからなぁ。
暗くて寒いのにほとんど毎日通っているのには理由がある。いちど怠けてしまうと、おっくうになって春までずっと休んでしまいそうな気がするからだ。まぁ、それでもかまわないといえばかまわないのだが、そうなると、義務と課している1日1万歩を達成するのが難しくなる。朝一番に散歩に出るというのは生活のペースとして作りやすい。けれど、昼間や夜にわざわざ1時間の散歩に出るというのは邪魔くさすぎるからだ。
こういう内容のエッセイを書いておいて、ラジオ体操通いをやめたりしたらかっこ悪い。だから、この原稿書きもずっと行き続けるモチベーションになるはずと考えている。なんか、志が低いなぁ、我ながら。
公園まで毎日同じコースをおよそ南東方向に向かって歩いて行くので、日の出が遅くなっていくのと、太陽の出る方角が日に日に変わっていくのが手に取るようにわかる。いまさらながら、子どものころに習った教科書のとおりやんかと感心したりする。
家の筋向かいに住んでおられたおじいさんは、日の出に向かって、毎日大きな柏手を打っておられた。子供心にけったいな人やなぁと思っていたのだが、いまはなんとなくその気持ちがわかる。太陽に対してなのか、新しい1日に対してなのか、なんだかよくわからないが、ありがたい感じがする。歳をとるとはこういうことなんかも。
新聞に載っている日の出時刻と実際の日の出時刻に違いがあるのはご存じだろうか。日の出とは、太陽の上辺が地平線(または水平線)に一致する時であって、そこに山があったりしても考慮されないためだ。
露天風呂から眺める日の出がきれいというホテルで、たくさんの人がまだかまだかと待っていた。ところが、山のせいで、ロビーに書いてあった時刻を過ぎてもなかなか太陽が顔を出さず、おじさんたちがのぼせてしまったのを目撃したことがある。これはちょっと不親切よなぁ、どう考えても。
大阪の場合も東側に山があるために、実際の日の出時刻は新聞に書いてある時刻よりも数分遅く、いちばん遅い頃は7時20分近くになる。終わる時刻が6時40分なので、LEDライトの外灯の下、真っ暗な中でラジオ体操をすることになるんや。う~ん、そこまでがんばれますやろか。