アモクは1909年にクレペリンがマレー人にみられる文化依存症候群として報告した病であるが、クレペリンの報告から13年後の1922年にツヴァイクが発表した『アモク』(辻瑆訳、『ツヴァイク全集1』、みすず書房刊)には、現地で実際にアモクをみたことがあるという医師がアモクについて語る場面がある。
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この医師はそもそも、ドイツの大学を出てライプチヒの大学病院に勤務する「腕ききの医者」だった。しかし、ある高慢な女性に翻弄された挙句、病院の金に手をつけるという不祥事を起こしたために出世の道を閉ざされた彼は、オランダ政府が植民地に派遣する医師を募集していることを知り、10年契約を結んで現地へ向かったのである。
彼の赴任先はバタビヤやスラバヤのような都市ではなく、一番近い町からも2日はかかる地方の駐屯地だったが、この医師はその田舎で実際にみたというアモクについて、「やみくもに人を殺してしまう偏執狂の発作です。ほかのどんなアルコール中毒症とも比較できるものではありません」「なにか気候と関係があるのです。あのむしあつい、凝縮した大気は、雷雨のように神経を圧迫し、最後にはその神経がはじけとんでしまうのです」といった自説を展開しながら、その病の経過を次のように説明している。
・「だれかひとりの非常に素朴な、とびきり好人物のマレー人がいて、これがなにか安酒をのんだとします……男はぼんやりと、何がどうでもいいような、疲れたようすでそこにすわっている」。
・「とつぜん男はとびあがり、短剣をひっつかんで、往来にかけだし……一直線に、どこまでもどこまでも一直線にかけだします」。
・「道であうものは、人間だろうと動物だろうと、短剣でつきたおし、血のにおいに酔って、ただもうますますのぼせあがってゆくばかりです」。
・「泡が唇にふきだして、気ちがいのようにほえたてます」。「男ははしりにはしって、もう右も見なければ左も見ず、ただするどい叫び声をあげ、血にぬれた短剣をにぎって、猪さながらやみくもにまっすぐはしってゆくだけです」。
・「村の人たちは、どんな力も、このはしりだしたアモク患者をくいとめるわけにはいかないことを知っています」。
・「最後には、狂犬のようにこの男を射殺してしまうか、それとも男が自分で、泡をふきながらぶったおれて死ぬかなのです」。
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このようにアモクを語る医師は、この熱帯のへき地に派遣されて7年目に、さる高慢な英国女性から極秘裏に中絶手術を依頼される。しかし、この傲慢で冷たい女性に魅せられた医師が、手術の条件に自分と肉体関係を結ぶという医師としてあるまじき条件を提示したために誇り高い女性から忌避・拒絶され、彼はそれを契機に自分もアモクのような状態に陥ってしまったというのである。
この医師がアモクをみていたからこそあの頃の自分が理解できるとしているのは、以下のような状態である。
・「私は私の生活をうしろになげすて、アモクさながらに、うつろな世界へかけこんでいきました」。
・「アモク患者は、うつろな目をしてはしるものなのです。どこへはしってゆくのか、見もしません」。
・「とにかく狂気とすれすれといった一種のおそろしい興奮状態におちいっていました―先ほど申しました、アモク患者です」。
・「私はアモク状態ではしっていたのです。右も見なければ左も見ないのでした」。
・「その待ちかたはちょうど……アモク患者がなにかをするのとおなじようで、正気がなく、けだものじみ、猪突猛進的なまったく一直線の固執をもったものでした」。
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果たしてこうした状態がアモクとの類似で語れるものなのかは議論もあろうが―特にアモクがどこへというあてもなく走り出すのに対して、医師の場合は英国女性という明確かつ具体的な目標がある―、いずれにしてもこの医師は、マレー人特有の病とされていたアモクと似た状態に西洋の知識人たる自分もなりうるという前提で、自らの状態をとらえている。それはある意味、アモクを文化依存症候群という視点からみるよりも、より普遍的な立場からとらえることを可能にする視点だが、この医師がアモクの原因を熱帯の気候と結びつけて考えていることから推察すると、7年間の赴任生活で彼自身が熱帯の気候の影響を受けて現地人化したことを示唆しているようでもある。
また、この医師が高慢な英国女性に非倫理的な要求をした背景には、かつて自分を翻弄し、医師としての未来を奪った高慢な女性に対する復讐のような意味も込められていたのかもしれないが、もう1つこの作品で注目されるのは、医師という立場を利用した自らの卑劣な行為を反省した医師が、今度は一転、何としても女性の秘密を守り抜いて手術をしてあげようと決意していることである。
それは、この医師の駐屯地での職務を途中で放棄させ、オランダ政府からの年金もふいにすることを意味していたにもかかわらず、この医師はそれこそアモク的な一念で何とか女性の役に立とうとしている。しかし、この医師の改心は間に合わず、女性は阿片窟や淫売窟がある小路の一室で闇の堕胎業者によって拙劣な処置を施された後に感染症を併発して亡くなってしまう。
死にゆく女性を前にして最早なすすべもないことを悟った医師は、その時の無力感を次のように述べている。「医師であるとは、どういうことかおわかりですか。すべての病気にたいして、すべての手段を知っており―あなたがいかにも分別ありげにいわれるように、たすける義務を負っている―しかも、死にゆく人のかたわらに、なんの力もなくすわっているのです」「知りながら、しかも力がない……ただこのひとことだけ、たとえわが身の血管を、ひとつのこらず切りひらこうとも、助けるわけにはいかぬという、そのおそるべき事実だけを知っているのです」。
それでもなお、この医師は女性が死よりも恐れていたスキャンダラスな噂を阻止するために全力を尽くす。そして、「たんにラテン語の免状をもっているからというので、医者は救世主で、万人のすくい手でなくてはならないのでしょうか?」「だれかがやってきて、高貴であれとのぞまれ、善意とひとだすけとをのぞまれるならば、医者というのは、ほんとうに命をなげだして、自分の血のなかに水をそそがなくてはならないのでしょうか?」と、医師の義務の限界に疑問を投げかけつつも、最後は自らの命を投げ出して患者から託された人間としての責務を果たすのである。