隠居生活に突入して、早いもので1年が過ぎました。おもろい出来事が減るのではないかと心配してたんですけど、そうでもありません。今回は、最近あった楽しかった話とか、びっくりした話とか、嬉しかった話とかを。
大阪大学医学部昭和56年卒業の同窓会があった。卒後20年から5年ごとに開催している。今回は少し早目に卒後39年でやろうと企画したけれど、コロナのせいで延期に次ぐ延期となり、結局は定期より2年遅れでようやく開けることになった。物故者が6名いるので、119名が生存で54名の出席だったから出席率は45%ということになる。他がどの程度かはわからないけれど、まぁ悪くはない数字だろう。
幸いなことに、前回から今回までの7年の間には亡くなった同級生がいなかった。ほぼ毎回、冒頭では物故者を偲んで黙祷していたのだが、今回は必要なし。年齢と人数を考えると、とても喜ばしいことである。でも、次回が心配やったりする。
全員が1~2分の近況報告をするのみという会であった。ずっと幹事を務めているのだが、面倒なので毎回同じようなやり方にしている。素晴らしいことに、皆さんタイムキーピングは完璧。定年を迎え、新しい職場に移ったり、同じ職場で嘱託として働いているのが多かった。アルバイト生活の者もいるが、定期的な仕事を持たずに隠居しているのは私だけ。う~ん、なんとなく怠け者感を味わわされてしもうたがな。
近況報告でいちばん驚いたのは、某大学で教授を勤め上げたT君の話だった。長年乗り続けていた愛車ポルシェの運転中、むちゃくちゃなスピードで突っ込まれて、九死に一生を得たというのだ。少しずれていたら即死だったとのこと。こっわぁ~。
全身打撲で何カ所も骨折し、本当に死にかけていたらしい。その時、暗闇の中から声が聞こえたという。「T、そんなとこにおったらあかん、帰ってこい」と。なんと、その声の主は誰あろう私だったという。
冗談好きのT君のことである、まさか本当とは思わなかった。あとで「あれ、ホンマか?」と尋ねたら、実話だという。なんと、思わぬところで人助けをしてたんや。ええことしたなぁ。って、自分ではなんもしてないんやけど。
なんやかや用事があるとはいえ、隠居はやっぱり暇である。現役時代なら、まず行かなかったと思うが、「旅する大学」というイベントに参加してみた。「学ぶことそのものを喜びとする。知恵を寄せ合い、自分たちで手や体を動かして学ぶ。教養とも実学とも違う、生きた学問からの学び」を目指すという素晴らしい企画である。
旅する大学としては3回目で、出雲での開催だった。「豊葦原瑞穂国を、喰い、巡り、呑む!」というテーマにそそられて申し込んだのだ。座学あり、平田木綿街道や出雲大社の見学あり、もちろん懇親会ありの1泊2日。30名程度の参加者のうち、おそらく最高齢だったが、存分に楽しめた。
最初にグループ分けがあって、お互いをどう呼ぶかを決めることに。女性3人といっしょの組で、最初の人が「まいちゃんと呼んでください」と。これにつられて2人目が「じゅんちゃんで」、3人目が「ちぃちゃんで」ときた。はぁ? ここで、仲野と呼んでくださいとか、先生と呼んでくださいという勇気はない。しゃぁない「とおるちゃんでお願いします」。ずっとではないけれど、時々、とおるちゃんと呼ばれた2日間、けっこう新鮮でありました。
3~4週間に一度くらいの割合で近所のお風呂屋さんに行く。もちろん平日の昼間である。途中にコーヒー屋さんがあって、いつも行きがけに豆を注文する。発注してから焙煎してくれるシステムになっていて、ちょいと割高だけれどすごく美味しい。
「仲野先生ですか?」どの豆にしようかと思案していたら、前に座っておられた女性に声をかけられた。う~ん、見覚えのない人である。「知り合いでしたっけ?」とマヌケな質問をしたら、「先生のファンなんです」と。おぉ、珍しや。なんでも大阪大学の事務に勤めておられたそうで、共通の知り合いもたくさんいるとのこと。
めったにないが、こうやって声をかけてもらえると素直に嬉しい。夫婦で小さな赤ちゃんを連れて来ておられて、世間話の後、「お風呂屋さんへ行ってきます」とお別れした。ゆっくり入浴しての帰り道、タイミング良く、またすれ違ってご挨拶。
こういうのってええよなぁ、とか思いながら焙煎済みの豆をピックアップしにお店に戻った。そしたら、「先ほどのご夫婦が、プレゼントにと、うちのお菓子を買って置いていかれました」と。それもファンレター(?)を添えて、である。え~っ、ホンマですか! これはもう、嬉しいどころとちゃいますやん。「厚意には甘える」をモットーにしているとはいえ、いつかお返しができたらと考えておりまする。