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【識者の眼】「新型コロナとトランス・サイエンス」榎木英介

No.5178 (2023年07月22日発行) P.60

榎木英介 (一般社団法人科学・政策と社会研究室代表理事)

登録日: 2023-07-06

最終更新日: 2023-07-06

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新型コロナウイルス感染症(COVID-19)が5類になってまもなく、私自身がついに感染した。私は以前とまったく変わらない生活を続けていたのだが……。もはや感染源はわからない。感染が拡大していることを身をもって感じることになった。

もう多くの人たちが、感染症を気にしていない。マスクを外し、政府に規制強化を求める声も少ない。パンデミックが終わるのは、人々が気にしなくなったときということがよくわかる。

感染して困ったことは、仕事に行けないことだ。フリーランスは仕事を休めば収入が途絶える。街の人々がこの3年間感じてきた苦しみがほんの少しわかった。

私たち医師は、「症状があれば休め」と簡単に言う。それは感染拡大を防ぐためなら正しい。しかし、仕事をしなければ、収入が途絶えてしまう人々にとっては、簡単に休めるわけがない。

コロナ禍が終わり、SNSやメディアで積極的に発言した、いわゆるインフルエンサー医師が激しい批判を浴びている。殺人鬼呼ばわりされるのを見ると、心が苦しくなる。人々になんとか命を守ってほしいために、行動制限などを呼びかけた。その気持ちに打算はないのはよくわかる。

しかし、行動制限の呼びかけは、接客業などの業種に従事する人たちの目には不買運動を仕掛けられたように映ったことだろう。また、マスクをし、友達の顔もわからない状態で学校生活を過ごし、修学旅行等のイベントも経験できなかった若い世代の影響は甚大だった。出生率は大きく下がり、少子高齢化は加速した。

トランス・サイエンスという言葉がある。

「科学と政治の間にある、科学に問うことはできるが科学では答えることのできない領域」を意味する。COVID-19は典型的なトランス・サイエンスの問題だった。

確かに、行動制限の呼びかけが高齢者を中心とした多くの命を守ったのは確かだ。しかしそれと引き換えに、若者たちやこれから生まれてくる者たちの未来を奪った。これは医師だけで決めてよいものではなかった。

こうしたことは、選挙で選ばれた正統性を持つ政治家を中心に行うべきことだ。しかし、政治家が責任を負いたくないがために、専門家にその責任をなすりつけた。それが、医師が前面に出て行動制限を呼びかけることにつながった。

こうした行動が善意や使命感から来ていることは疑う余地はない。しかし、悲しいことにそれは戦時下で文民統制を超えて軍部が暴走したように見えてしまった。

誹謗中傷や脅迫を一切肯定するつもりはない。しかし、人々の医師に対する激しい怒りは、その背景にあるトランス・サイエンスの扱い方という課題を如実に表しているといえる。

榎木英介(一般社団法人科学・政策と社会研究室代表理事)[行動制限]

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