今年1月に後期高齢者になった。北大医学部を卒業してから50年を超えたので、内科医師としても50年の歴史を有することになる。これまでは診察する側であったが、この年になると診察される側になることもたびたびである。同期生の逝去の知らせが時折来るようになり、これまで意識をすることのなかった今の世界との別れの日について考えることもある。
長きにわたって医療の世界に身を置いてきたため多くの方々を看取ってきたが、年を経て、自分がいつ看取られる側になるのかわからない状況であることに気づいた。平均寿命まではまだまだと思って安心して暮らしていたが、健康上の問題で日常生活に制限のない期間を表す健康寿命について考えてみると2022年の男性の健康寿命は73歳であり、もう尽きてしまっていることがわかり唖然とした。あとどれくらい生きられるかの指標である平均余命は11.6歳であり、われわれ高齢者には平均寿命よりはるかに重要な指標になる。
人は生まれたときより、死ぬことが義務づけられている生き物である。これまで学んできた医学教育では、患者をいかに長く生かせるように治療を行うのかが、医師にとって最も重要な役割であると教えられてきた。しかし、これはあくまで原則であって、高齢者ことに超高齢者においては延命のための治療は考え直す時代に入ってきたと思われる。
たとえば高血圧や高脂血症のガイドラインに沿った厳密な治療は不要であり、むしろ有害になるのではないだろうか。平均余命が10年を切るような方には、必要最小限の治療を除き、薬はできる限り減らし、厳しい食事制限から解放して食事を自由に取らせてあげるほうが人生の終末を有意義に過ごせることになるのではないかと思う。
実際、超高齢者の多い私の内科外来では、残り少ない人生において本当に必要な治療かどうかについて時間をかけて説明を行い、納得してもらってから個々の治療の内容を決めるようにしている。私自身、数年前より“意思確認書”を自ら作成し、それを実践してくれるよう家内に伝えてある。意識がなくなり、脳に回復の可能性がない場合には、延命治療は必要なく、人工呼吸器の装着は禁止、胃瘻の必要はなく、やせてきても放置し自然経過に任せることなどを記載している。この書類を北海道医療大学の顧問弁護士に見せたところ、法律上何の問題もないということで安心した。日々の仕事の励みになっている。
浅香正博(北海道医療大学学長)[意思確認書]