新型コロナの感染拡大で第5波のピーク時(2021年8月)に、当病院の通常診療の病床稼働率は50%近くにまで低下した。コロナ重症用の病床を4床、中等症用を24床増やして看護師を配置した結果、200人近くも通常診療の入院患者が減ることになった。いくらデルタ株の流行が深刻だとはいえ、これでは通常診療の責務が果たせない。構造的な問題があるに違いないと思った。
コロナに対応する病院が期待したほど増えない以上、役割分担を徹底するしかない。大学病院はコロナ重症もしくは中等症Ⅱの患者(呼吸不全があり酸素投与が必要)を診る一方、その他の病院はより軽い患者を診る、あるいは転院のネットワークをつくるなどの体制構築を、菅義偉総理大臣(当時)に直訴した。これらの提案を聞き入れてくれた菅総理の指示で、厚生労働省もすぐに動きはじめたのだが、それでも、状況は根本的には変わらなかった。
菅総理が3度目の緊急事態宣言を出した直後、21年4月の全国紙に「1年間何をしていたのか」と題する社説が掲載された1)。「政府、自治体首長、そして医療界はこの1年あまり何をしていたのか」という書き出しである。
それまで本学が、多くのコロナ患者を受け入れていることはメディアを通じて報道されたため、多くの寄附や著名人の応援ビデオメッセージ、小学生からの感謝と応援のはがきなどが届き、我々も社会を支えているだけでなく、社会によって支えられていることを痛感し励まされた。そして、それは多くの仲間たちにも勇気を与えていたが、この社説が掲載された頃から、応援ではなく「怒り」が私たち医療者にも向けられるようになった。
長引くコロナパンデミックに社会全体が疲弊していた。コロナ不況による生活不安は、飲食店の閉鎖などにより肌で感じることができたし、無観客試合、東京オリンピックの延期など、従来の楽しみが社会から消えていった。長引くコロナパンデミックがもたらした暗い影によって社会全体にイライラ感が蔓延するのは仕方のないことだが、我々はずっと、コロナ診療も通常診療も頑張り続けてきたつもりだった。「1年間何をしていたのか」をはじめとする社会からの怒りをぶつけられたのは、まさに寝耳に水だった。
むしろ感染の波の谷間になると、多くの人がマスクを外し、束の間のレジャーを楽しむ姿を横目で見ながら、変わらず医療に携わる仲間たちは、「パラレルワールド」と呼び、世間とのギャップを感じることとなった。それでもコロナと闘い続ける仲間たちの心は、社会との一体感が薄れ、ストレスがさらに増大していった。
この頃からコロナウイルス感染は、オミクロン株が主体となった。死者数をみれば、デルタ株が主流だった21年夏の第5波よりも22年年明けの第6波のほうが多いが、随分印象が違うのは、感染力はさらに強まったが呼吸不全になる患者が激減し、高齢者以外の重症化率が下がったためだろう。もちろん、mRNAワクチンの効果や、感染既往者が増えたことによる集団免疫の要素なども重なった可能性はあるが、デルタ株までのような、コロナウイルス感染で昨日まで元気だった人が死亡するということはほとんどなくなった。
【文献】
1)日本経済新聞:社説.(2021年4月24日)
田中雄二郎(東京医科歯科大学学長)[通常診療の減少][社会の怒り][オミクロン株]