国際学会でポルトガルのリスボンに来ている。こちらはすっかりポストコロナの様相で、マスクをしている人を見つけることは難しい。人々が普通に食べて、飲んで、会話している。老若男女を問わず活動を制限している様子がまったくなく、この国のコロナウイルスはどこに行ってしまったのだろうか、と不思議に思う。一方で、そのコミュニケーションの様子を見ていると、あんなに人との距離が近く、見つめ合ったり、触れ合ったりして他者と思いを共有しようとする文化では、コロナ禍でのマスク装着やkeep distanceはあまりにも辛かったのではないかと思う。
対して、日本ではそういう辛さはあまり感じなかったようにも思う。医療現場でマスクを装着していて困るのは、きわめて客観的なこと。患者から「マスクで暑い」「聞こえづらい」という意見は聞くものの、「直接、顔を見て話したい」「気持ちが伝わらないから残念だ」などという声は聞いたことがない。むしろ、「大きな声で話してくれるのでありがたい」「安心感がある」という感謝の声が多く、気持ちをあまり表情に出さない文化だからこそ、マスク装着の習慣が長く続けられているのかもしれない。
ただし、リハビリテーション分野では、失語症や構音障害の患者に対する言語訓練の際にマスクはとても邪魔である。発声や発音がうまくできない場合、口唇や舌、頰部の動きを模倣させることで正しい構音に導く練習を重ねるが、マスクがあると、顔面や口腔内の動きを直接見せることができない。カードやタブレットを用いて動きの情報を提示しても実物の動きの模倣にはかなわない。医療者側は透明なプラスチックマスクなどで対応可能だが、マスクをしている患者の口の動きの観察は困難で、実施に難渋する。コロナ禍ではリハビリテーション医療の領域も様々な影響を受けたが、言語・構音訓練はその中でもかなり訓練が難しくなった領域である。
もう1つ、強く影響を受けているのは認知症の人々である。社会的な交流を保ち生活機能を維持するとともに、認知刺激を得たり身体機能を維持したりするために、我々は、認知症の人にも積極的な活動を推奨している。しかし、感染症が流行していることを忘れ、マスクの装着が難しい、人との距離を保てない、マスクをしている人を見て不安に思う、などの理由から、認知症の人の社会活動は大きく減少している。閉じこもりの生活により、介護者の負担の増大や、認知症の行動・心理症状の悪化がみられ、今後の認知症医療や福祉におけるきわめて深刻な問題である。
新型コロナウイルス感染症は、予防可能であるため、適切な対策は必要である。とはいえ、過度な対策となっていないかを常に検証することは重要である。ポストコロナ対策について、医療・福祉分野だけでなく、様々な社会の声を総合的に検討する時期が日本にも来ているのではないか、と改めて感じている。
大沢愛子(国立長寿医療研究センターリハビリテーション科医長)[ポストコロナ][文化][言語・構音訓練][活動]