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【識者の眼】「天然痘が歴史を変えた」森内浩幸

森内浩幸 (長崎大学医学部小児科主任教授)

登録日: 2024-07-04

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20世紀─2つの世界大戦をはじめ、戦争のために命を失った人は1億人を超える。しかし、天然痘のために亡くなった人は20世紀だけでも3億人。人類の歴史上、天然痘がどれだけ多くの命を奪ってきたのか考えると、背筋がゾッとする。そして、歴史上の数多の戦で雌雄を決してきたものは英雄でも名参謀でも最新兵器でもなく感染症だったが、その中でも天然痘はgame changerだった。

ローマ帝国の衰亡

165年、パルティア(今のイラン付近)へ遠征していたローマ軍は、そこで発生した天然痘によって崩壊し、命からがら帰国した兵士らがローマ帝国内に流行を拡大させ、帝国の衰亡の一因となった。

アステカ王国・インカ帝国の衰亡

連載第1回(No.5209)でも述べたが、1521年、コルテス率いるスペイン軍は高度の文明と数百万の民を擁するアステカ王国をわずか500人の手勢で征服した。実はこれは彼らが擁した近代兵器の威力ではなく、彼らが持ち込んだ天然痘が王国で大流行して多くの人が死に絶えたことが決め手だった。1533年、ピサロ率いる軍によるインカ帝国の征服も、やはり天然痘が帝国内に拡がったためだった。

生物兵器今昔

ヨーロッパでは既に中世において、包囲した城または都市の中にペスト患者の遺体を投棄してペストを流行させ、敵を壊滅することを目論んだ国もあるので、生物兵器という発想は案外古い。

北米で英仏が植民地闘争(フレンチ・インディアン戦争)をしていた18世紀、英国軍は仏国軍と同盟関係にあったアメリカ原住民の一族に、天然痘患者が使っていた毛布類を贈り、天然痘を流行させて滅ぼそうと試みている。

人類の英知によって撲滅された天然痘のウイルスは、米国とソ連の2国に集約化され、それ以外のものは廃棄された。しかし、旧ソ連の解体の混乱に乗じて天然痘ウイルスがテロ国家・組織の手に渡ってしまった可能性がある。いつの日か生物兵器として用いられる恐れがあるのだ。

天然痘、日本上陸

日本には遣唐使によって天然痘がもたらされ、最初の大流行は735〜37年に起こり、当時の人口の3割が死んだという。その中にはときの権力者藤原四兄弟も含まれていた。天然痘は日本史も変えてしまったのだ。聖武天皇が東大寺の大仏を建立したのも、この流行で疲弊した社会を回復させたいという願いがあったのだ。

伊達政宗─片眼を失って得たもの

戦国時代から江戸時代にかけての武将、伊達政宗は5歳時に天然痘に罹患した。右眼も冒され、壊死した右眼球が飛び出て垂れ下がった顔はあまりに不気味で、政宗は引き籠もってしまった。そこで見かねた近侍の片倉小十朗が無麻酔下で小刀を使って眼球除去を行ったという。この逆境から這い上がった政宗だからこそ、時代の荒波を乗り切ったのかも知れない。「このあたりの詳細は、参考文献〜大河ドラマ『独眼竜政宗』DVDを観てね」と学生講義で話すと、「何ですかそれ?」と言われて世代ギャップに落ち込んでいる今日この頃である。

次回、「天然痘を歴史に変えた」に乞うご期待!

森内浩幸(長崎大学医学部小児科主任教授)[感染症の歴史][天然痘(1)]

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