本連載の第2回(No.5219)および第3回(No.5229)では、学術雑誌購読料高騰への対応としての「論文のオープンアクセス(OA)化」が、あたかもアカデミアの働きかけによるもののように説明してきた。実際、現在、フルOA誌として確立しているPLOSは、スタンフォード大学の生化学者パトリック・O・ブラウンと、カリフォルニア大学バークレー校の計算生物学者マイケル・アイゼンにより創設された。グリーンOAのベースとなる機関リポジトリは、大学図書館において運営されている。しかし、これらは、アカデミアの理想を1例として具現化しただけで、世界に波及するような大きな流れにはならなかった。
OAを世界のアジェンダに押し上げたのは、重病患者らである。彼らは、自身や身内の病気を理解し、何かしら乗り越える手立てを知りたいという一心で、あらゆる情報源にあたり、学術論文も調べようとした。しかし、学術雑誌は購読料が高すぎて、読むことができなかった。とはいえ、医学関係の研究の多くは公的資金により賄われている。つまり、これらの研究は納税者の負担の上に成り立っているのに、その研究成果に対して納税者が再度負担を強いられるのは、おかしいのではないかと彼らは主張したのである。
重病患者らの米国議会への働きかけにより、米国国立衛生研究所(NIH)には、米国初であるだけでなく、世界初とも言えるパブリックアクセスポリシーが2008年に成立した。NIHの研究助成を得た研究者は、当該研究助成から生み出された論文の著者最終稿を、論文出版後1年以内に、NIHの提供するリポジトリPubMed Centralに登録しなければいけなくなった。これに伴い、NIHの研究助成により生み出された論文は、インターネット上でOAとなり、世界から参照可能になった。ちなみに、米国ではOAのことをパブリックアクセスと言う。一般市民からアクセス可能であるという理念が、このネーミングの背景にある。
一般市民が、学術論文など理解できるのか? 医師を通して、研究成果の恩恵に浴すればよいのではないか? と思う読者も多いだろう。しかし、患者は必死なのである。論文が母国語で書かれているという強みもある。また、一般市民といえども、高学歴の者も多い。開業医などもそこに含まれる。さらに、社会変革を生むほどの者もいる。シャロン・テリーという、稀少疾患を患う2児の母の証言が議会に特に響いたと言われているが、彼女は患者と研究者をマッチングするバイオバンクを設立し、米国人類遺伝学会(ASHG)を含め、数々の賞を受賞している。彼女の議会での証言のエッセンスはTED上にあり、世界で140万回以上再生されている。彼女の、2児を救いたいという切々とした想いは、胸を打つ。日本語字幕もついているので、一度ぜひ、観てもらいたい。
なお、論文のOA化は、重病患者らの訴えへの直接的対応として実現したのではなく、その「公共的な理念」が、OAを世界のアジェンダへと押し上げたと言える。次回は、論文のOA化がどのようにして世界のアジェンダになっていったかについて説明したい。
船守美穂(国立情報学研究所情報社会相関研究系准教授)[学術雑誌の購読料高騰][論文のOA化][重病患者][パブリックアクセスポリシー][PubMed Central]