行きがかり上、日本医療法人協会の医療安全部会長を引き受けた。悪名高い第三次試案・大綱案が俎上にのぼってきたときのことである。東京都立広尾病院事件、東京女子医大人工心肺事件、杏林大病院割り箸事件に続き、福島県立大野病院事件の産科医逮捕の映像が流れて、医療界はパニック状態であった。医師法第21条の災禍から逃れようとして、第三次試案・大綱案に飛びついたのである。医師法第21条の恐怖に怯えたためと言えよう。
そのようなときであったため、当初、私の主張は周囲の理解を得られず、医療界でも四面楚歌の状況であった。必然的に周囲とバトルを繰り返すこととなった。そのような中、全国から意見を同じくする人々が集まってきたのである。それぞれ確固たる意見を有する論客が何人もいるのがわかった。これらの人々がメーリングリストという形で結集できたのが、坂根みち子氏を代表世話人とする「現場の医療を守る会」であった。
それぞれの草の根運動により、医師法第21条問題も解決、医療事故調査制度もパラダイムシフトして、日本医療法人協会案をベースとして妥当な制度としてできあがることとなった。画期的な出来事であり、運に恵まれたのであろう。
このような中、医療事故調査制度議論を通じて(むしろ異なる意見のぶつけ合いを通じてと言えるだろうか)、有名教授とも知己を得ることとなった。講演会でのバトルの後、某教授との雑談の笑い話を披露したい。
私の実弟は、故高久史麿教授の門下であり、当時、東京医大で糖尿病の教授をしていた。講演会の後、某教授との会話の席で、弟の話題になった。「ご兄弟だそうですね」「私が長男で、あいつが1番下の弟です」「お2人、まったく似てらっしゃいませんね」「そうですかね〜。弟はひげを生やしてますしね」と会話ははずんだ。「小田原教授とは教授会で席がお近くでよくご一緒するのですよ」「小田原教授は紳士ですよね」「???」。
兄弟似てないと言われたぞ。弟は紳士だと言われたな。似てないという私は紳士ではない? 兄の私が、紳士と評価されなかったのは、きっと、事故調のバトルのせいに違いない。
小田原良治(日本医療法人協会常務理事・医療安全部会長、医療法人尚愛会理事長)[医師法第21条][医療事故調査制度][現場の医療を守る会]