西 智弘 (川崎市立井田病院腫瘍内科/緩和ケア内科)
登録日: 2024-11-29
「マンガなんて、くだらない」
と、本稿をお読みの皆さんは思うかもしれないが、子どもの頃からマンガを傍らに育ってきた自分としては、人生の多くをそこから学んできたことを否定できない。
特に、大人になってから読むようになったマンガの中には、何度も読み返してそのたびに発見があるものもあるし、仕事に役立つマンガも多々ある。
今回はその中から、(まだ連載中ではあるが)『葬送のフリーレン(小学館)』をご紹介したい。このマンガは、いわゆる「勇者一行が魔王を討伐する冒険譚」というよくありがちな世界観の物語ではあるのだが、その特異な点は「魔王が討伐されてからの後日譚」が話のメインプロットとなっていることだ。これはネタバレというほどではないだろうが、何せ「勇者が第1話で死んでしまう」ところから話が始まる。勇者といえば主人公、というのが定番なので、この展開が新しい。しかし、この物語の主人公は、勇者一行の魔法使い・フリーレンである。
フリーレンは1000年以上の時を生きたエルフであり、この後も悠久の時を生きていく。しかし、その人生の100分の1にも満たない勇者との旅が、彼女の人生を大きく変えることになる。フリーレンは勇者の死に「人間の寿命は短いとわかっていたのに、なぜ私はもっと知ろうとしなかったんだろう」と、涙を流し、そこから「人を知るための旅」が始まるのである。
『葬送のフリーレン』の魅力はたくさんあるが、その1つがフリーレンやその敵となる魔族といった「長命種」、つまり1000年単位で寿命がある種族から見た「人間」という存在を浮き彫りにしようと試みている点だ。彼らからみれば一瞬にしか過ぎない時間の中で、人間がどれだけのことを成し遂げていくか。そして「世代をつなぐ」という人間独特の方法によって、エルフや魔族とはまた別の存在感をこの物語の中で示している(エルフは世代をつなげずに絶滅を待ち、魔族は世代をつなぐという発想がない存在として描かれている)。
いわゆる「スピリチュアルペイン」の中に、「時間存在としての自分」つまり、「自分の人生が終わってしまうのだとしたら、この時間に意味があったのか」と感じる苦痛がある。自分の人生はこの100年に満たない時間だけ、という価値観を重視するならその苦痛は相当なものだろう。しかし、「自分の前にも人がいて、自分の後にも人がいる」ととらえることができたら、このスピリチュアルペインは随分と軽くなる。『葬送のフリーレン』は、そんな一見すると当たり前のお題目を、丁寧に描いて見せてくれている。緩和ケアに関わるものであるなら、ぜひ一度ご覧頂くことをお勧めしたい。
西 智弘(川崎市立井田病院腫瘍内科/緩和ケア内科)[スピリチュアルペイン][マンガ]