1978(昭和53)年に発表された松本清張(1909~92)の『天才画の女』(新潮社、1979年)は、天才画として画壇から注目された女流画家の絵が、実は精神障害者の絵をもとに描かれたものであったとされている点において、病跡学的に注目される作品である。
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銀座の一流画廊に、無名の若手女流画家の絵が持ち込まれた。その絵は、具象画でも抽象画でもなく、「幻想画」とでも言うべき絵で、風景画の範疇には入るが、写真的に風景を写し取っているものでもなかった。各部分には具象の崩れが散らばり、細部には克明な写実の筆が施されているものの、「その水平線は歪み、山容は曲り、添景物は人物かとみれば虫であり、虫かとみれば動物である」。しかも、決してグロテスクではなく、不快感も与えない。それは、「色彩の処理が抜群に新鮮だからだ」。
それに比べると、大家として知られていた画家の絵には、「老大家の衰弱と、マンネリズムをも通りこした恐るべき職人的な惰性との拡大があるだけ」だったため、目利きとして知られるある収集家は、この無名画家の絵を「これこそ画家の心象を主体とした新しい『形』と『色』といえないか」とまで、評価したのである。
その画家は、降田良子という30歳くらいの独身女性で、実家は福島の田舎にある老舗の菓子屋だという。しかも、一般的に無名の画家の絵には先人の模倣がどこかにあるものなのに、そういう亜流が彼女の絵には見られず、これまで名のある師についたり、きちんとした美術学校で学んだ形跡もない。さらには、一流画廊の支配人がわざわざ訪ねても、普通なら感激しそうなものだが、「ほとんど無反応なくらいの応対ぶり」で、アトリエの中さえ見せようとしないのである。
そんな彼女の態度に、経験豊富な画廊の支配人も、「彼女は一風変っているよ。無愛想というか、俗人ばなれがしているというのか、ちょっと寄りつきにくいところがあるね」、「色気のない顔なのに、なにか威厳に近い雰囲気をもっている。奇妙な女だ」と語るのだが、やがて、この画廊の支持を得た彼女は、「天才画家」として、華々しいデビューを果たすことになる。
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