私が父から医院を継承して間もない頃のこと。引き継いだ患者さんたちの中に、90歳をはるかに越えた女性がいた。年齢の割には元気で、時折通院しては近況を報告し、長年内服しているなじみの薬を持って帰る、という診療を続けていた。帰りにはいつも、箱いっぱいのマスコットを置いていった。ぞう、ねこ、うさぎ、彼女の手作りマスコットは、いつの頃からか当院で予防接種を行った子どもたちへのご褒美として活躍していた。
「泣いていた子が、マスコットを手にするとぴたっと泣きやむ、っていうじゃない。そんな話を聞いたらうれしいじゃない」。礼を述べると、そう言って笑った。
マスコットの残りが少なくなる頃になると来院する、というあいまいな通院間隔は少しずつ長くなり、やがて往診主体になった。はじめは最新のキャラクターも混ざっていたマスコットは、単純なものに変わっていった。彼女は、地域では駆け出しの私を自宅でいつも笑顔で迎えてくれた。そしてマスコットを往診鞄に入れて帰った。
ある日の午後、娘さんから「様子がおかしい」と連絡があった。急いで自宅に行ってみると、すでに旅立たれた後であった。娘さんの腕の中にいる彼女は、いつもの穏やかな顔だった。以前からの希望も踏まえ、診断書には、「死亡したところ:自宅、死亡の原因:老衰」と初めて記載した。残されたマスコットたちは、形見のように譲り受けた。
残り515文字あります
会員登録頂くことで利用範囲が広がります。 » 会員登録する