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ウリツカヤの『クコツキイの症例』(下)─続・文学にみる医師像 [エッセイ]

No.4766 (2015年08月29日発行) P.72

高橋正雄 (筑波大学人間系)

登録日: 2016-09-08

最終更新日: 2017-02-14

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  • 遺伝学者ゴールドベルグ

    『クコツキイの症例』には、1920年代初めに主人公のパーヴェル・クコツキイとともに医学部を卒業した、イリヤ・ゴールドベルグというユダヤ人医師も登場する。

    医者で遺伝学者でもあるゴールドベルグは、正義感の強い激情型の性格が災いして、何度か逮捕されたという経歴の持ち主だった。しかし、その都度、幸運な偶然のおかげで、当時の尺度では「たいしたこともない刑期」を務めあげていた。ただし、当然のことながら世間一般の出世からは縁遠く、一時は無職となって、ちまたをさまよった揚句、外国文献図書館の上級書誌学者という職をあてがわれて、糊口をしのいでいたのである。

    ゴールドベルグは、クレムリンから5分とかからない場所にありながら検閲の目の届かない図書館の奥で、何巻もの歴史書を読破する中から、「天才性とその遺伝」という問題に興味を引かれるようになった。しかし、この問題の難しい点は天才性というものの定義であった。ゴールドベルグは、どのように優良と優秀と天才の間に線を引くかを明らかにするために、あらゆる時代と民族の百科事典を比較・検討して、確実な天才のリストを作った。彼が天才の根拠としたのは百科事典における言及の頻度で、彼はある巧妙な統計的手法を用いて、この根拠の妥当性を明らかにした。 

    ただ、彼は広く網をかけたため、そこにはアテネの黄金時代もイタリアのルネサンスもロシアの貴族文学の時代も含まれ、彼が天才と定義する人物は、それぞれの世紀で100名にも上った。

    彼の次の作業は天才性と結びつくような特徴や指標の探求で、彼は「偉人の伝記を貪るように渉猟しては、天才やその親がかかった病気や、身体の特徴や欠陥や差異についての記述を、重箱の隅をつつくようにして探した」。

    しかし、全ソ連農業アカデミーの会議の席上、ゴールドベルグがスターリンの御用学者ルイセンコに向かって、暴露的な言辞や卑猥な罵詈雑言をわめき散らしたため、会場から直ちに精神科病院送りとなった。ところが、彼が救急車で運ばれた病院の老精神科医が彼に興味と好感を持ったために、彼を救うことのできる統合失調症という診断を下して放免した。

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