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退職と引退 [炉辺閑話]

No.4837 (2017年01月07日発行) P.83

宗田 大 (東京医科歯科大学大学院運動器外科学教授)

登録日: 2017-01-03

最終更新日: 2016-12-26

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新しい年を迎えた。新年は常に新鮮である。

定年退職を2年後に控え、退職後の生活について頭をかすめることも少なくない。昨年11月に日本臨床スポーツ医学会を主催させて頂き、2000人を超える参加者を迎え、成功裏に終えることができた。定年が近づくと多くの公的な?仕事が多くなり、自分のために使える時間がますます少なくなっている。

私は整形外科医として臨床一筋でこれまでやってきた。退職したらもっと自分の時間を持ちたい。そのためにはパートで外来を続ける生活が最も気軽だ。膝の痛みを保存的に改善させることにかけては、少々自信がある。まだまだ患者にとって役に立つ医師だ。医師自体に定年はない。働く意思、健康があれば退職はない。医師でいられる限り、社会に貢献している気になれる。医師はすばらしい職業である。

人生50年だった時代は、現代の感覚からすると退職についてあまり考えなくてもよかったかもしれない。しかし、実際のポストの継承争いは激しく頻回で高度に政治的だった。長くない人生を先取りし行動する必要があった。男でも80年になった人生。退職がその後何もしないことを意味する時代ではない。健康でいる限り生産性を維持し収入をあげることを、現在この国は求めている。

しかし、ポストの定年は待っている。ポストの入れ替え、新しい息吹の注入は組織、社会の発展、存続に必要な大切な手続きである。しかし、ポストの定年はキャリアの終了を意味しない。最も卑近な例が、「天下り」である。知識、経験、人脈の積み重ねが、天下りをもっともらしい価値のある現実的選択にしている。しかし勤務時間と報酬のバランスは再考の余地がある。このように、人によっては退職が引退ではない。再出発、新たな経験、自己発現であることも珍しくない。

昔からそんなことはあった。院政である。天皇が退位し、上皇になる。そこでの引退の意味は、リセットか。出家することで、政治的なリセットをして力を維持する。人間の欲は限りない。欲がある限り力を維持したい。これも人間である。

医師にとっての退職と引退は異なる。し かし、ポストを開けることは新しい力の注入であり、広がりを持つ発展であるべきであろう。

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