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温故創新(おんこそうしん) [炉辺閑話]

No.4837 (2017年01月07日発行) P.91

森岡聖次 (夢眠(むうみん)クリニック院長)

登録日: 2017-01-03

最終更新日: 2016-12-26

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「温故創新」は創世記からの日本の疫学研究の第一人者でいらした故重松逸造先生(1917~2012)の造語である。私は、重松先生が金沢大学で研究されていた時期の弟子であった橋本 勉教授に直接のご指導を頂いてきたが、重松先生が晩年折にふれてよく紹介されていたのが、この「温故創新」である。意味は読んで字の通り、「古きをたずねて新しきパラダイムを創成せよ」との語意であり、先生ご自身も座右の銘となさっていた。私も不肖の孫弟子として色紙に揮毫して頂いたが、今も職場で朝な夕なに拝見している。

重松先生は、最晩年に日本の疫学研究百年史をまとめることになり、私が共著者を仰せつかった(森岡・重松:日本の医療と疫学の役割─歴史的俯瞰. 克誠堂出版, 2009.)。この疫学史研究の過程でも、温故創新がキーワードとなった。この研究書が世に出るまでには、「日本胸部臨床」誌に2年間連載しながら、江戸時代から近現代まで書き進めることで骨格が整った。あの頃、小職は和歌山県立医科大学の非常勤講師(公衆衛生学)であり、温故のために休日は医大の図書館で、「日本医事新報」を創刊号から2008年まで総覧した思い出がなつかしい。

重松先生は機会を捉えてこの「温故創新」を紹介されていたが、その始まりは2000年1月に開催された第10回日本疫学会総会(米子市)での特別講演ではなかったかと思われる(重松逸造:20世紀の疫学を振り返って. 保健科学研究. 2000;49(4):354-62)。その後は2006年に出版された『日本の疫学』(医療科学社, 2006)や、「公衆衛生情報」(2011;40(10):6-18)、日本疫学会ニュースレター(2011;37:1-2)など、精力的に「温故創新」の意図するところを盛んに紹介されていた。

その後私自身は研究畑から離れ、三重県内で地域医療を担当しているが、医療の志は「温故創新」でありたいと思っている。

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