たまに美術館を訪れる。関東に居た頃は東京に出て国立美術館の仏像展に魅せられたものだった。今、福岡で福岡アジア美術館の一枚の油絵に魅せられている。私にとって世界の絵画の中でも最も魅力的な作品のひとつだ。ゴッホやセザンヌ、ゴヤの絵も好きだが、この絵には西洋の美とは違う東洋の悲が描かれている。
この絵を初めて観た時、私はその場からしばらく立ち去ることができなかった。絵に描かれた大地が私の背後にも広がり、自分がその場に居て、共に悲しみを味わい、共にその刻を生き、静かな生と死の世界を共有しているような錯覚を覚えた。その作品のタイトルは、英語で“Funeral in Winter”、日本語で「山の野辺送り」。新年号に野辺送りの話はどうかとも思うが、「炉辺閑話」の字から私が連想したのは、なぜか「野辺送り」だった。
炉辺と野辺は、字は似ていても遠く離れているし、閑話と送りは字も意味もまったく関係ない。しかし、炉辺と野辺は田舎の原風景でつながり、閑話と送りはむりやり緩和と葬送でつなげることもできる。野辺送りの風景を、東日本大震災のあと、大槌町で見たことがある。死者が親なのか子なのかわからなかったが、津波で家々が押し流されて、かつて家屋がそこにあったということだけがわかるコンクリートの土台だけが残された更地の中の道を、家族や親族たちが喪服を着て並んで歩いていた。もうすぐ大震災から6年が経つ。記憶は次第に薄れていく。しかし、依然として1500人余が行方不明のままだ。
海の底に眠る人々のために、残された家族のために、両陛下は昨年も大槌町に来られて岸で祈りを捧げられた。両陛下ほどの力にはもちろんなれないが、遠くから海辺送りの祈りを捧げるほかない。「帰り来るを 立ちて待てるに 季(とき)のなく 岸とふ文字を 歳時記に見ず」(皇后陛下歌会始の儀 2012年)。
福岡アジア美術館に所蔵されている王 宏剣(ワン・ホンジエン)の「山の野辺送り」を観ながら、東北の海岸に思いを寄せる。ワン・ホンジエンは次のように添え書きしている。「Life can transcend death──生命は死を超越する」。
この1枚の絵画を多くの人が観賞し、死を超越する生命について想いをめぐらせて欲しいと願っている。