昨年10月3日、ノーベル医学・生理学賞を大隈良典東京工業大学栄誉教授が受賞された。「オートファジーの働きの解明」が受賞対象である。これで日本は、ノーベル賞を3年連続、ここ10年間で13人目の受賞ということで日本の基礎研究が世界に誇るものであることが示されたのは、すべての日本人が誇りにしていることだと思う。医療界の中で仕事をしている人間として、大隈先生が医師ではなく基礎生物学の泰斗であったとしても、その喜びが変わることはない。また、オートファジーという言葉、その仕組みをはじめて知った己の浅学に恥じ入ることにもなった。
さて、ここ数年の受賞は、日本が経済発展の渦中にあった、財政良好で基礎研究にも比較的研究費が投じられていた時期の成果であって、現在の財政難や規制改革の名の下に国立大学が独立採算となり、研究費が減り続けている現状では、将来も現在のようなノーベル賞受賞の潮流が続くことはないという指摘も尤もである。
しかし、本稿では少し違った視点で今回の受賞に関して考えさせられることがあったことを記したい。研究には、前述の財政的支援は欠かせないとしても、研究者個人の資質こそが最も重要であろう。人と異なる発想、成果がすぐ出なくても粘り強く研究を続ける強い意思、研究スタッフをまとめる人間力等々。以前より日本は教育において個性を伸ばす教育を行ってこないことが問題視されていた。しかし、昨今は集団、組織の問題点が噴出している。豊洲への移転問題、東芝の不正会計事件、三菱自動車・スズキ自動車の燃費不正問題等々。どれも社会的にはきわめて存在感のある大組織である。それぞれの組織の問題点は異なっているのかもしれないが、結局最後にはなぜそのような問題が起こったのかの原因を、再発防止に生かすような結論が出ないまま、ある意味うやむやに終わってしまう。従来、日本では個人の力より集団として力が発揮されるという固定観念があったように思うが、実は集団のほうに問題が多いのでは、とすら感じる。組織運営の欠点について、長年指摘されていたにもかかわらず、改められることがないままである。優秀な個人とその個人が形成する集団の組織運営のまずさ、組織の運営に関わっている人間として、改めて考えさせられた。