太平洋に面し、山田湾と船越湾を擁する岩手県山田町で、町唯一の老健施設を運営するなど長く地域医療の中心を担ってきた近藤医院。開設者の父を継ぎ、兄弟3人で診療していた2011年3月11日、東日本大震災が発生した。町は壊滅的な被害を受け、近藤医院、老健施設も被災。老健施設では入所者、職員の多くを失った。
近藤医院は震災から1カ月後に仮設診療所で診療を再開し、14年6月には医院と老健を高台に再建。新たな一歩を踏み出した。
東日本大震災から6年。3兄弟の長男で近藤医院の理事長を務める近藤晃弘氏に地域医療への思いを聞いた。
震災前は4つありましたが、現在は当院を含めて2つです。1つは院長先生が震災で亡くなり、もう1つは昨年廃院されました。
県立山田病院は夜間の救急患者に対応しておらず、30km離れた宮古病院に搬送しなければなりません。できれば夜間の救急患者に対応してほしいですが、医師不足であることは承知しているので、割り切るしかないですね。
診療所を再建するに当たり、老健施設も再建するかどうかで一番悩みました。震災時には被災した医院と老健施設のローンがまだ残っていましたから、老健も再建するとなると、その分、多額の借金が上乗せされます。
父が開設した老健を我々の代で止めてしまうのは、兄弟として悔しいという気持ちですね。それに、この町で今後介護の需要が増えることは分かっていたので、山田町の老健施設に入所したいと思っている人たちの希望に応えたいという気持ちもありました。
現在私は57歳ですが、返済期間は79歳まであります。書類にサインをした時は働き続けることができるのかどうか、正直言って不安でした。ただ、幸いにも、その後子ども2人と姪が医学部に入学しましたので、いずれ事業を引き継ぐ予定です。医学部入学が決まった時は、少し肩の荷が下りたような気がしましたね。
今も介護が必要な人は本当に多いですから、迷ったけれども老健を再建できて良かったです。
はい。医学部に入学する時に、「学費を出すに当たって言っておきたいことがある」と再建に必要な借金額と返済計画を伝えました。「私や弟が働けなくなったら代わりに借金を返してくれ、それが条件だ」と。子どもたちは「それは分かっている」と言ってくれました。医者になって山田町に戻ってくることは親子の約束です。
それはありがたいですね。
とにかくスタッフの人数が足りません。医師、看護師、介護士が不足しています。当院もこれから在宅医療の実施を考慮していますが、今の医師数(3人)では外来患者だけで手一杯。老健は入所希望者を制限している状況です。
町は震災前から過疎傾向で、職を求めて若い人が外に出ていく流れは今後も続くと思います。その半面、高齢化率は上昇し、医療・介護の需要も増えると予測されていますので、スタッフを採用して医院と老健を充実させたい。それができないことが歯がゆいですね。当院は訪問リハビリテーションを行っていますが、それもスタッフが足りないために、ニーズに対応しきれていません。
難しいですね。スタッフを集めるために職員寮を建てることも選択肢の1つですが、現在、町が宅地を造成している最中なので、建てる土地がありません。
仮設住宅です。前の自宅は浸水域なので、その代替地が割り当てられる予定ですが、その場所がまだ決まっていません。
震災から6年も経つのに、まだ町の形をなしていないですし、これからどういう町が作られていくのかも想像できません。ただ、津波の浸水域には建築の制限がありますし、盛土や防潮堤など大がかりな土木工事が必要なので、他の災害に比べて復興が遅れるのは仕方がないですね。東日本大震災後も他の地域で災害は起きていますし、今は全国的に建設ラッシュ。気長にやるしかありません。
自宅の再建は全国的に建設需要が落ち着いた2020年以降になるでしょうね。医学部に入学した息子が「医者になったら家を建ててあげる」と言ってくれているので、お願いしようかな(笑)。
山田町が本当の町の姿になるのは、10〜20年先になるのではないでしょうか。
子どもたちには、できるだけ病院で研修する時間を作ってあげたいので、自分自身の健康に気を付けて少しでも長く働きたいと思います。そして子どもたちにあまり迷惑をかけないように引き継ぎたいですね。
(聞き手・永野拓紀子)