雪虫が飛び始めたその日の依頼は、A大学病院からの40歳になる末期乳がんの方の訪問診療であった。3年前に乳がんが見つかり、他の町で治療を重ねていたものの、今後の療養のためには両親の力も借りなくてはならず、実家のある当市に戻ったのだ。大学では緩和ケア外来や退院支援の看護師もサポートに関わっていたが、いよいよ全身状態が悪化し大学までの通院が困難ということから、私への訪問依頼となった。私はこの患者さんの施設におられる祖母の訪問診療もすでに行っていて、また家族のかかりつけ医でもあった。
「ケミカルコーピングがあるようなので、何とか在宅の効果で麻薬の使用量を減ずることができないか」というのが緩和ケア医師からの依頼であった。
彼女は8歳と11歳の子どもの母親であるが、予後は在宅に来た時点で3カ月と言われていた。訪問を続ける中で、私は確かに医療者であったが、それと同時に同じ子どもを持つ母親として彼女と話をすることが多くなってきていた。自分が大切に思う人へ丹念にアルバムを作るのがベッドの上での彼女の日課であった。「私には時間がないの」。この言葉が彼女の口癖であった。「先生、私クリスマスまで生きていられる?」「大丈夫よ」と、私はそう答えてはいたが厳しい状況でもあった。
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