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限界状況における希望[エッセイ]

No.4691 (2014年03月22日発行) P.70

青島敏行 (滋賀県赤十字血液センター)

登録日: 2014-03-22

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ノアの洪水、ヨブ記

2011年の東日本大震災は、現代日本人が未だかつて経験したことのない大災害であった。

この震災に対して、太平洋戦争に匹敵する思いを抱いている人も多いと聞く。当時の日本全土は形こそ違え焼き尽くされたのだ。

自然は人間に恩恵を与える反面、時には今回のように生命財産を奪い去っていく。あの押しよせる水の威力をテレビで見て筆者が思ったのは、旧約聖書『ノアの洪水』の物語である。

「神は大雨を降らせ、地上のすべての民と動物を滅ぼされた。そして方舟を造れと命じられ、その中に入ったノアの家族と一つがいの生き物たちだけが生き延びた」

また一族が大きな災難を受けたヨブのことを旧約聖書『ヨブ記』は伝えている。

正しい人ヨブは苦難の中にあって神を呪わず、神と徹底的に向き合い、自らの知的傲慢を悔い、平安を回復する。

それにしてもヨブの友人たちの忠告、助言の何と軽薄なことか。友人たちの言説は神の怒りに触れる。『ヨブ記』があるから聖書は素晴らしいと語ったある先輩のことを思い出す。筆者はその先輩から大きな影響を受けた。

フランクル『夜と霧』

今回の震災を反映してか、フランクルの『夜と霧』が多くに読まれているという。NHKテレビの読書番組でも『方丈記』、カミュ『異邦人』などとともに採り上げられた。

『夜と霧』は霜山徳爾訳があったが、近年池田香代子訳が出版され、最近は河原理子の評論も出た。この河原の著書について後藤正治が書評で「極限的な受難を被りつつ、告発を封じ、人間存在への深い考察を示した。人はいつの時代も不条理を抱え、人生の意味を求める。それに応える普遍の書」と記している。

河原は本書を若い時に読んだが、写真を覚えているくらいで内容については記憶がないと言う。筆者も同様で、昔に写真を見た覚えはあるが、霜山訳を真剣に読んだのは医師になって大分たってからである。読後感は衝撃であり、筆者は奥付に「恐ろしい話、しかし現実にあったこと、現代のヨブ記」と記している。

詩人 石原吉郎

河原の著書を読んで印象的だったのは、詩人石原吉郎の文章が引用されていることである。このシベリア帰りの詩人に筆者は以前から関心を持っていて、彼の著作をいくつか読んでいた。

石原は帰国後、フランクル『夜と霧』と大岡昇平『野火』を読み衝撃を受けたと言う。「フランクルが人間を深く見つめることができたのは『告発』から切れていたからだ」と石原は述べている。「フランクル自身が被害者意識からはっきり切れていて、告発を断念することによって強制収容所の悲惨さを明瞭に語り伝えている」。

姜尚中もフランクルの著作から「病にも悩むことにも意味があるのだと説くフランクルに触れて、目からウロコが落ちた。人は誰しも不条理を抱えて生きる。意味を見つけ出してそれを受け入れたとき、自分と和解できる」と言っている。

石原の友人 鹿野武一

石原が「今にして思えば鹿野武一という男の存在は、私にとってかけがえのないものであった。彼の追憶によって私のシベリアの記憶はかろうじて救われている」と書いていた友人の鹿野は、シベリアの収容所で常にペシミストとして行動したという。

「彼は前途への希望をはっきり拒否していた。そしてこのような状況下でペシミストの立場をとることは驚くほど勇気を必要とする。彼のペシミズムの奥底には恐らく加害と被害に対する根源的な問い直しがあったであろう」と石原は記している。

さらに石原は言う。「真実というものは常に悲しみの表情で語られる。まして喜ばしい表情で語られる真実というものはない」。

筆者も同感である。聞いて心が温まり、明るくなるような話が本当であるはずがない。筆者が「美談」なるものを一切信用しない理由もそこにある。美談には作為、嘘が内包されている。

希望とは

フランクルは「曖昧な希望を信じて、それが叶えられなかった人達は急速に抵抗力を失い生命を落としていった」と述べている。だからこそ生きる意味に目を向けるように彼は仲間に話し続けたという。

「希望というものはこの世には存在しないだろう。希望を求めるその姿勢だけが人間を支えているのである」という石原の言葉は確かにそのとおりであろう。地獄の絶望の中にあって天国を見上げる意志こそ希望と言えると筆者は考える。中国の作家巴金は文化大革命10年間の苦境を、ダンテの『神曲』を筆写することで耐えたという。

最後に「連帯」についての石原の言葉を取り上げたい。「理解し合い、手を握り合うことだけが連帯なのではない。憎しみ合い、殺し合うこともまた連帯である。決定的な関り合いであることにおいて、私はその間にどのような相異も見出すことはできない」。石原らしい厳しい言葉である。

私たちは「連帯」という語の中に善なる、美しいものを見がちであるが、物事は単純でないというべきであろう。すべてのものが光と影を持っている。

とは言え、いかなる状況にあろうとも、刻々と色彩と形態を変える夕焼雲に感動し、「世界はどうしてこんなに美しいんだ」と認識する感性を失いたくないものである。

【文献】

1) 河原理子:フランクル『夜と霧』への旅. 平凡社, 2012.

2) 石原吉郎:望郷と海(ちくま学芸文庫). 筑摩書房 , 1997.

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