以下の文章は、私が米国コネチカット州にあるエール大学に2度目の留学をした1973年に、ニューイングランド地方の音楽祭と秋の祭りについて書いたものである。現在、サントリーホール館長で桐朋学園大学院大学教授を務めるチェリストの堤 剛がエール大学音楽学部に留学していた頃で、30歳代前半の小澤征爾が指揮研究生として招かれたタングルウッド音楽祭の音楽監督になったばかりの頃でもある。
ニューイングランドとは、米国北東部のメイン、バーモント、ニューハンプシャー、ロードアイランド、マサチューセッツ、コネチカットの6州を指し、日本の半分の面積に日本の1割強の人が住み、広大なキャンパスを持つ教育機関が散在する文化のレベルが高い地方である。なお、文中「今」「今年」とあるのは、いずれも1973年頃のことである。
音楽やオペラのシーズンが終わり7月の声を聞くと、エール大学関係者やニューヘブンの街の人たちは夏の休暇の支度にかかる。
秋から初夏にかけて、都会で演奏活動に忙しかった音楽家やオーケストラは夏の街を離れ、山の空気に吸い寄せられるように、ニューイングランド地方の西部、緩やかな山並みの続く涼しい森の中に居を移してゆく。そうした避暑先の山の中で、これまた夏の休みを田舎で寛ぎたいという人たちを対象に、音楽の祭りがあちこちで催される。
コネチカット州の西北、マサチューセッツ州の近くの山の中のノーフォークという村のはずれの広大な敷地に音楽堂が立っている。敷地に入ってからでも、森を抜け、谷を渡って車でしばらく走ってやっと音楽堂を見出すくらいの広さだが、音楽堂そのものは500人も座れば一杯の、音楽堂というよりは赤松の古い木造の小屋である。ここに、エール大学音楽学部の教授陣を中心とした演奏家たちが夏の間移って、毎週末に演奏会を開く。
エール大学関係者ばかりではなく、各地から演奏家が加わり、オペラから室内楽まで多彩である。金曜日の夕方、大学での仕事を終えてから1時間ほどドライブし、芝生の上で持参のサンドウィッチを食べ、闇が迫り冷えてくる身体がコーヒーで温まる頃、演奏会が始まる。音楽を楽しみにくるのか、森の空気を楽しみにくるのか、あるいはまた、夏の宵の山の冷気にあたりにくるのか。ただ、何となくそんな中で音楽を楽しんで、顔を合わせた人たちとおしゃべりをして満ち足りて帰っていく。券が手に入らないほど人気があるわけではないがいつも満員で、知る人ぞ知る楽しみといったふうであり、7月に入ればまずはノーフォークへ、という人たちも多い。こうしてノーフォーク・コンサートは70年の歴史を持つ。
休憩時間に小屋の外に出てみれば、立ち込める霧の中、森の木々が小屋の窓からもれる光に浮いて、聞こえるものは山の響きばかりである。
エール大学音楽学部ではヒンデミットが長く教えていて、その教え子も多いので、ヒンデミットの曲が取り上げられることも多かった。
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