【Q】
試合後,監督が「選手たちをほめてやってください」と述べていたテレビ中継で,画面字幕には「…ほめてあげてください」と表示されていた。「猫に餌をあげる」などの言い方も耳にするが,これらは「あげる」の用法に反するのではないか。(兵庫県 M)
【A】
「あげる」は本来目下から目上への場合に用いられる言葉であったが,近年上下関係から離れて物事を美化する言葉として用いられるようになってきた。ただし,違和感が残る層もあり,使用には注意が必要である
「猫に餌をやる」は,かつては普通に使われる表現であったが,近年,ご指摘のように「猫に餌をあげる」という表現が増えてきた。
「あげる」は,漢字を交えて書けば「上げる」であって,本来は目下の者から目上の者へ差し上げる場合に用いる語であった。人と猫などの上下関係が崩れた表現だと感じられる場合に,ことばの乱れとして認識される。
この使用傾向の変化の背景を述べると,近年,「やる」という語はニュートラルなニュアンスを失いかけており,その語感にややぞんざいさを感じ取る傾向が生じてきている。なお,「遣(や)る」は常用漢字表には認められていない訓読みである。そこに,ちょうどあてはまる単語を求める中で,謙譲の意味が薄れつつあった「あげる」が選ばれるようになってきたのである。同様に「食べる」という語も,もとは「食う」の謙譲語であったものであり,「やる・あげる」が特異な現象というわけではない。この「あげる」は上下関係を意識しない用法となって,「花に水をあげる」と人々が使うようになってきたのである。質問文の「選手たちをほめてあげてください」というテレビの字幕表示も同様である。
実は,文部科学省の文化審議会においても,この「あげる」が取り上げられた。2007年に答申された「敬語の指針」において,敬語を従来の3分類から5分類に増やしたのだが,それに伴って,この「あげる」を謙譲語ではなく美化語(従来は丁寧語に含まれていたもの)としてとらえ直しうることが示された。
つまり,上下関係を意識して用いるとは限らずに,物事を美化しようとして用いることばと新たに規定しうるものとしたのである。
これは,江戸時代後期に萌芽した用法であって,戦後には女性に顕著な過剰敬語とみなされることもあったが,その後の現実での使用の趨勢を踏まえて,このような処置がなされたものである。女性や若年層から言語変化が広く一般へと進んでいくことを反映した施策と言える。辞書もまた,この答申と相前後して,この用法を収録,記述してきている。
ただ,この「あげる」の用法には,なおも言語観や知識によっては違和感が残る層もある一方,「やる」をぞんざいに感じる層もあることは事実であり,不用意な使用,そして誠実な配慮に基づく使用に対する叱責は,無益な摩擦を引き起こす可能性があることに,互いに留意すべきであろう。