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【私の1曲】故郷に帰りたい(カントリー・ロード)

No.4925 (2018年09月15日発行) P.69

山田俊幸 (自治医科大学臨床検査部教授)

登録日: 2018-09-11

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米国のシンガーソングライター、ジョン・デンバーが1971年に発売した代表曲の1つ。「ベスト・オブ・ジョン・デンバー」(BMG JAPAN)などに収録

やっぱりアメリカは憧れだった

中学二年の時、大河ドラマ「花神」が放映され、地元の萩市が舞台になることから視聴するようになった。興味を持ったこともあり夏休みに小説版を購入した。テレビは同じく司馬遼太郎による小説「世に棲む日日」なども原作にしていたため、高杉晋作が格好よくてそれを期待して読んだのだが、小説は石州口での戦いを除いてとても地味な印象だった。

中学生のある日、兄が友人から借りてきたLPレコードの冒頭にあり、鮮烈な印象を受けた曲です。日本ではフォークソング全盛の時代でしたが、透明でパワフルな歌唱とアコースティックなサウンドに、日本にはない別格なものを感じました。

これをきっかけに、アメリカの古い匂いを強く感じさせる音楽に興味を持ち、よりシンプルなもの、例えばギター、バンジョー、マンドリン、フィドル(バイオリン)などの少編成のものに惹かれるようになり、友人たちの奇異な視線を感じながらもカントリーウエスタンのレコードを収集し続けました。

国内では、「高石ともやとナターシャセブン」というグループが古きアメリカンフォークソングをカバーしたシリーズもののアルバムを発表しており、そのコンサートにも何度か出かけました。ちなみに、ナターシャとは高石氏が福井県名田庄村の廃校に居を構えたことに由来しています。名田庄はまた、地域医療の実践でマスメディアにもよく登場する自治医科大学OBの中村伸一医師の診療所がある場所です。

話を戻して、米国のある地方都市で留学生活を送っていた頃、ジョン・デンバーのコンサートがあるということで家族そろって出かけました。研究室の同僚は、親の世代の音楽だなどと相手にしてくれませんでした。コンサートは野外会場で行われ、後部は芝生自由席になっており、子供らはピクニック気分で喜んでいました。私にとっては、20数年前に憧れた本人を生で見るという感無量の想いでした。

時は流れ、ジョン・デンバーは自家用飛行機の事故でこの世を去りました。私も転居を繰り返し、集めたレコードのほとんどが行方不明となりました。今、無意識にこの時代の曲を口ずさみ思います。やっぱりアメリカに憧れていたのだなと。

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