山本周五郎著、新潮文庫。小石川養生所の「赤ひげ」と呼ばれる医師と、見習い医師との魂のふれ合いを中心に、貧しさと病苦の中でも逞しい江戸庶民の姿を描く
医師なら誰でも知っている名作でしょうが、恥ずかしながら、つい最近読了しました。確かに、医師の理想像について改めて考えさせられました。
作品は、赤ひげというあだ名の江戸時代に生きる医者の姿を描いたものです。凄まじい貧困と無知に基づいた様々な病に苦しむ人々に対し、病気だけを診ることなく、その背景にある人間模様や社会の病巣まで見据え、医師である以前に、人間としても最善を尽くすさまは、古武士さながらです。目の前の患者さんに汗をかくより、マスコミの前で現代社会はどうのと、偉そうな口を叩きたがるように見える、今どきの精神科医とは全く違っているなとちょっと笑ってしまいました。
また、私が精神科医として20余年を過ごしてきたせいかもしれませんが、驚いたことがありました。それは、この小説に出てくる患者さんの大半が、典型的な精神疾患だったことです。過去の性的なトラウマの影響から、男性からの性的接触がある度に、繰り返し殺人行為に及ぶ娘や、何人もの女性と恋愛はしても、結婚が決まったとたんに、全て破談にしてしまう青年、自らの飲み代を求めんがために10歳そこそこの娘を、花街へ奉公に出すアルコール依存症の母親の姿等々、現代の精神科医でも、自らの臨床経験を振り返らされるものです。病には時代を超える普遍性があり、我々も、赤ひげと近い経験をしているのでしょう。
ただ、赤ひげが現代の精神科医と違っている点は、貧困と無知が悪いといい、患者さんのあらゆる振る舞いを許し、治療を求められれば、患者さんがどんな境遇にあろうが、病気がいかなる難病であろうが、多忙を理由に治療を断らない点でした。
現代にあっても、医者魂とは何か、切実に問いかけてくる名著です。