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梅崎春生の『囚日』─終戦直後の精神科病院[エッセイ]

No.4929 (2018年10月13日発行) P.68

高橋正雄 (筑波大学人間系)

登録日: 2018-10-14

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1949(昭和24)年4月に梅崎春生が発表した『囚日』(『梅崎春生全集第二巻』、沖積舎刊)には、終戦後間もない時期に、主人公が、松沢病院を思わせる都内の巨大精神科病院を訪ねたときの体験が描かれている。

「敷地が数万坪もあるというこの脳病院には、数百人の気の狂った人がいるという話であった」という一文で始まるこの作品には、当時の精神科病院の様子が、次のように描かれている。「比較的軽症の人々は、敷地内の農耕にでていて、鍬を使ったり収穫をはこんだりする姿が、遠くに見えた。重症の患者たちは、みな病棟に閉じこめられていた」。

主人公と友人は、知り合いの医師に案内されて病院を見て廻るのだが、構内にはコの字型の病棟が、道をはさんで幾つも建っていた。

その中には、頑丈な扉がついた病室ばかりの棟もあって、厚さが5寸ほどもある扉には、銃眼に似た刳抜き窓がついていて、部屋の中が覗けるようになっていた。その部屋には発作の激しい患者などが、ひとりひとり入っていて、中を覗くと、「布団にくるまって寝ていたり、またいきなり起き上って、顔を窓のところに持ってきたりした」。

この病院には、進行麻痺や躁うつ病、統合失調症の患者たちが入院していたが、「配給の関係上、患者を都民に限っていた」。

また、「廊下には、動物の檻のようなにおいが、うっすらとただよっていた」し、廊下を歩きながらすれちがう軽症患者の3人に1人は、前頭部の両側にうすい傷痕をつけていた。終戦間もない当時、この病院ではかなりの患者がロボトミーを受けていたのである。

また、廊下を行き来していた患者の一人は、医師に、しつこく同じ言葉を繰り返した。「ねえ。よその病棟にうつして呉れませんか。ここは面白くないですよ」。

この患者は、10秒ほどの間隔を置いて同じ言葉を同じ抑揚で繰り返すのだが、その顔には、その語調ほどの切実な表情は浮かんでおらず、そんな患者の常同的な行為を、医師は、「あんなに執拗に言っていても、あの患者は常住それを感じているのではなく、医師の顔をみたとき、そんなことを思いついて繰り返しているにすぎない」と、説明した。

女性病棟には、廊下の角でいきなり声をあげて歌い出す患者がいた。彼女は、小刻みに身体をゆすり、身振りを交えながら歌っていて、これほど楽しそうな歌声を、主人公は長い間聞いていないような気がしたが、この患者のことを、医師は次のように説明した。「躁病の爽快感情ですね」、「あのひとは、発作が起きそうになると、自分で判って、進んで入院してくるのです。発作にも周期がありましてね、もう何回目の入院でしたかしら」。

また、別の病棟では、医師が立ち止まって、廊下から部屋の中に、静かな声で話しかけた。「どうだね。加減は?」。

話しかけられた男は、入口近くにうずくまって布団を体にぐるぐるに巻き付けていたが、彼は「唇のあたりに、亡友の死霊が憑いていて、どうしても離れず、それがいろんなことを命令する」という幻聴を有する患者だった。

この患者については、医師が、「分裂病の病状としても、まだ初期ですから、幻覚じゃないかと言うと、あんな具合に反応する」が、「これが進むと、すっかり自分の妄想の世界に入りこんでしまって」、「感情が鈍磨荒廃して、全く無為の状態になってしまったりする」と説明した。さらにこの医師は、重度の統合失調症患者の内面についても、「彼等が閉じこもっている世界が、どんなものであるか、これは誰にも判らないんだよ。分裂病患者は、同一人に対して、愛と憎しみといったような、正反対の気持を同時に感じたり、また同時に泣くことと笑うことが出来たりするんだ」と、両価性(アンビヴァレンツ)という特性に重点を置いて解説した。

しかし、主人公が最も注目した入院患者の特徴は、周囲に対する無関心だった。「数万坪のこの区域内に居住する人々は、おおむね他人の生き方に無関心なふうであった」と感じた主人公は、患者の自閉的な様子を、次のように語っている。「大きな病室がつらなっている病棟では、ひとつの病室に、十人も十五人もいて、思い思いの姿勢で、じっと動かなかった。布団をかぶって寝ているのもいたし、壁に倚ったままにぶい眼を私たちにむけるのもいた。みな鬱然として表情をなくし、自分の世界にとじこもっているようであった」。

そして、病院を出た後で喫茶店に入り、そこでそれぞれの客が壁を背にして向き合うように座っている様子を見た主人公は、「脳病院だってあの喫茶店だって、似たようなもの」と思う。「その中にいる人たちが、お互に無関心で生きている」という相似を、精神科の入院患者と喫茶店の客の間に見出した主人公は、両者の関係を、次のように感じるのだった。「無関心で生きているというのも、ひとりひとりが他からは理解されない世界を、ひとつずつ内包しているせいなのだろう。その世界がだんだん歪んできて、この世の掟や約束を守れなくなると、人は脳病院に入ったり、刑務所に入ったりするのだろう」。

以上が、作家の目に映じた終戦後間もない精神科病院の姿である。そこには、入院患者の筆頭に梅毒性の進行麻痺が挙げられていることや、配給制のために入院が都民に限られていること、多くの患者がロボトミーの手術を受けていることなど、未だ抗精神病薬が開発されていなかった当時の精神科病院の光景が、描かれている。ただし、有効な治療手段に乏しかった時代の精神科病院を描いたために、結果として重度慢性患者の無為自閉や情意鈍磨などの症状が強調されることになり、そうした症状を抱えて生きる患者の心情や、病んでなお残る正常性や人間性の部分にまでは、考えが及んでいない。

したがって、この主人公は、一般社会と精神科病院を比較する場合でも、相互の無関心という両者に共通する病理性に注目するだけで、一般社会と入院患者に共通する正常性や、患者は患者なりに周囲への関心を持っているといった、微妙な心理には気づいていない。いや、そもそも精神科入院患者の無関心と喫茶店の客の無関心とでは、表面的には似た部分があるにしても、その内実は異なると言わざるをえないのだが、当時よりも遙かに治療法が進んだ今日、もしもこの主人公が精神科病院の見学を許されたら、病院の雰囲気のあまりの変化に驚くであろう。

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