No.4939 (2018年12月22日発行) P.65
仲野 徹 (大阪大学病理学教授)
登録日: 2018-12-19
最終更新日: 2018-12-17
1人目の師匠、北村先生からは研究の基礎すべてを学んだと言っても過言ではない。なかでも特に、いかにお金をかけずに研究を進めるかについてが厳しかった。
2人目のThomas Graf先生からは、サイエンスがいかに楽しいかを学んだ。生活の楽しみ方も。よく休暇をとって遊びにいくのは、この師匠の影響がとても大きい。
さて、3人目の本庶先生からはというと、すこし難しいのだが、研究における王道とでもいうべきものを学んだと思っている。
三人三様、ちがったタイプの優れた研究者の下で学べたことは、なによりも貴重な経験だった。1人の師匠だけからだと、どうしても縮小再生産になってしまう。なので、若い人たちには、複数の師匠から教えをうけることを強く勧めている。
師匠たちの教えを十分に生かしきれているかと聞かれると、いささか心許ない。「弟子は永遠に不肖である」という故・山本夏彦の名言は、けだし真実なのである。
その言葉とならんで時々耳にするのは、「師匠はみんな理不尽である」という格言(?)だ。確かに、師弟関係というのはある程度、弟子が師匠の理不尽さを受け入れることによって成り立っていると思う。
特に、芸事では師匠の言うことは絶対らしい。しかし、科学ではすこし状況が違っている。師匠だって人間だ。間違えることもある。そんな時にはきちんと指摘するのが正しい弟子のあり方ではあるまいか。
もちろんそれは難しい。しかし、師弟の関係は非対称的であっても、一方向性である必要はないだろう。師匠が弟子を育てるだけでなく、弟子も師匠を育てる、という状況こそがあらまほしい。
この考え、柳家さん喬師匠とその一番弟子の喬太郎師匠、お2人による本を読んでいて、やっぱり正しいんじゃないかと思えてきた。そしてこの本、さん喬師匠による師弟関係についての言葉がすごくいい。
「俺は弟子を育てる能力はゼロだけど、ただ水をやることだけは惜しまないよ」、「一門意識ではなくて、師匠意識なんです。こんなことをしたら師匠に申し訳が立たない、という考え方をいつもしています」。
師弟関係というものにはいろんなことがあったりするけれど、師匠として、弟子として、このふたつの姿勢さえあれば、それだけで十分なような気がします。
なかののつぶやき
「大好きな東京の噺家さんお2人による本。笑いながら師弟というものについてしっかり考えさせてもらえました」