大学病院における学生や研修医指導に関する悩みである。褒めるべきか・叱るべきか。昨今、小学生の世界でも叱責された生徒の親が簡単に学校にクレームを入れてくる時代である。今の若者は、学校や家庭で叱られる経験が少ないまま社会人になる。
非を叱責されることは必要と思う。ただ、叱られると言っても不尽に叱られる経験も必要ではないかと感じている。成長過程で、親、先輩、教師、近所の人から理不尽に叱られた経験が私たち世代(60歳代以上)にはある。たとえば、クラブ活動で先輩風を吹かせた指導がどうしても納得いかず、心の中で反発しながらも従ったことはあった。流石に研修医になってから同様の経験は少ないものの、ガイドラインのない時代のことである。時に論理的に考えて納得のいかない指導もあった気もする。それでも、先輩の指導には素直に従った。そんな経験が耐える力を身に着けさせてくれた。
ある日の医学部教授会で、指導の原則は褒めることを優先とし叱らないで欲しいと、大学本部学生指導担当の先生から依頼があった。叱られた学生がうつ状態になるケースも多いとの説明である。少々あっけにとられた。確かに、上手に褒めて上手に叱ることは素晴らしい指導方法である。
山本五十六の名言に「やってみせ、言って聞かせて、させてみせ、ほめてやらねば人は動かじ。 話し合い、耳を傾け、承認し、任せてやらねば人は育たず。 やっている姿を感謝で見守って、 信頼せねば人は実らず」とある。教育論の琴線に触れる名言である。自ら手本を示し上手に褒め、相手の意見を十分に尊重できれば人は育つ。
ただ、私が危惧するのは、褒められ時代の今の若者がクレーマー患者に遭遇した時、果たして乗り越えられるか、という点である。山本五十六の名言にもう一つある。「苦しいこともあるだろう。云いたいこともあるだろう。不満なこともあるだろう。腹の立つこともあるだろう。泣きたいこともあるだろう。これらをじつとこらえてゆくのが男の修行である」。男は人と置き換えたい。