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遠くアフリカの大地に散った夢

No.4941 (2019年01月05日発行) P.76

岡 慎一 (国立国際医療研究センターエイズ治療・研究開発センター長)

登録日: 2019-01-05

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1980年代、日本のエイズ問題は血友病で始まった。初めてエイズの報告があった米国では、麻薬と男性同性愛者がリスクグループであった。アフリカにエイズ問題があろうとは、誰も思っていなかった。ただし、スリム病という変な風土病があることは知られていた。スリム病こそがエイズであるということが知られるようになったのは、1980年代後半であった。

実は1980年代、日本におけるもうひとつのエイズのリスクグループは、アフリカで技術協力のために働いていた若者であった。途上国の役に立ちたいと、真面目で正義感の強い若者が次々に感染していた。そんな中の1人に、青年Aがいた。目が澄んでいた。アフリカの大地を愛している目であった。普段は、現地人と密にアフリカの片田舎で働いていた。月に1回給料を貰うために都市に出向いていた。健康な若者と性にはオープンなアフリカである。遊ぶつもりで都会に行くわけではないので、コンドームを準備することもなかったという。父親を若くして亡くしていた彼は、母親孝行であった。日本にいる間は、山村で自営業を営む母と一緒に暮らしていた。その彼がHIVに感染していたのである。当時のエイズに対する差別・偏見は、神戸や長野のエイズパニックの後でもあり、考えられないくらいひどいものであった。母への告知はできなかった。治療薬などなかった当時、彼がエイズを発症するのは時間の問題であった。程なく彼は、悪性リンパ腫でエイズを発症し、他界した。

当時アフリカで多くの若い男女が感染していた。その誰もが、澄んだ目をしていた。「もう一度アフリカに戻りたいです。あと少しで、教えていたことが実を結ぶんです」と、哀願されることもあった。しかし、誰一人その希望はかなわなかった。

派遣元との交渉で、彼らの医療費は全額負担すること、派遣前にエイズ教育を行うこと、の約束を取り付けた。以後、アフリカで働く若者のエイズは激減した。しかし、派遣前にそのような教育のなかった彼らの夢は、遠くアフリカの大地に散っていった。

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