学生時代、医学書はやたら厚く、重かった。麻酔科医となった頃、未だ個人が使えるコンピュータはなかった。学会発表原稿も論文原稿はすべて手書きで、上司の校正は赤鉛筆であった。学会発表や講義用のスライド原稿は、英文タイプか和文タイプで書いたが、専門業者に外注していた。スライド原稿の接写、現像、ブルースライドは自分でやった。アンモニア臭の暗室は今はない。当時教室で主宰した全国学会は、医局員数名が数カ月がかりで演者や演題の割り振りをした。すべて紙での手作業であった。
学生の講義は教科書の図表のコピーで、苦手な板書も必要であった。ワープロが世に出て、原稿書きの様相は一変した。原稿は常に活字で読めるようになって、そのままスライド原稿に使えた。PC-8000シリーズは趣味にはなっても、実務に使うにはPC-9800を待たねばならなかった。苦心惨憺、自力でポスター印刷の機能を組み込んで学会発表に臨んだら、質問は演題内容ではなく、印刷方法に集中した。
それでも講義用の資料スライドの作製は大幅に楽になった。スライド頼りの授業をするには教室内を暗くする必要があり、多くの学生の昼寝を誘発した。Macを使うようになって事務処理は大幅に効率化した。
全国学会を主催したとき、事務局作業はほぼ1人でできた。今や電子化とインターネットは同義で、2018(平成30)年5月に参加会員数1万名を超える学術集会を主催したときは、会長としての作業はほぼ9割方、電子メールで行えた。事務作業での電子化の力は圧倒的である。こんな世の中は、学生時代には想像もしなかった。
手術用機器への応用も進んで、事務作業だけではない場面で恩恵を受けている。学生はタブレット端末だけで授業や実習に臨める。医学書もその中にある。電子化は医学教育にも浸透している。しかし、行き過ぎはしないかと心配もしている。たとえばバーチャル解剖学だけで人体解剖を学んだら、どんな医師が育つのだろうか。過去数千年、何の進歩もない人体の構造に向き合う、職人としての医師という職業人教育のあり方を間違えてはいけないと、ふと思う。