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歴史の裏側[炉辺閑話]

No.4941 (2019年01月05日発行) P.95

増﨑英明 (長崎大学理事・長崎大学病院病院長)

登録日: 2019-01-06

最終更新日: 2018-12-26

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仙台を訪ねた。A君という後輩と一緒だった。A君はあまり旅行をしない。自分で出かけるよりバーチャルが好きらしい。iPhoneを手離すことがない。世の中の真実は、すべてインターネットが教えてくれると信じている。

「伊達政宗公の銅像でも見ようか」。レンタカーを借り、目的地をナビに登録して出発する。A君はiPhoneを握ったままで運転する。前方を見るよりiPhoneを見ている時間のほうが長い。注意をすると「ナビが信じられないからiPhoneで確認している」という。ナビとiPhoneを見比べて進むうちに袋小路にはまり込んだ。「銅像はこの次にしよう」。そういうと、今回ばかりは素直に車をUターンさせた。途端にパトカーが来て、高々とサイレンを鳴らした。信号無視で減点2点である。

意気消沈のA君だったが、やがて元気を取り戻した。仙台から盛岡へ向かう途中に、こけしで名の知られた温泉町がある。宿に着くと、さっそく風呂場に出かけた。ヒバの浴槽には温泉の結晶が付着して、天井の筧からはザブザブと音を立てて源泉が落ちている。眼をつぶって放心していると、全身の筋肉がほぐれていく。夕食後はバーで飲みながら、宿の主人と話をした。

主人は苗字を「遊佐」という。言い忘れたが、宿の名前は「ゆさや」である。「遊佐氏は、信長の頃にどこかの家老でしたね」。そういうと、「畠山に仕えたんですよ」「応仁の乱ですか」「そう、信長の頃は能登にいたんですが追放されて、先祖がここで温泉宿を始めたようです。昔は湯治場だったのですが、昭和11年にこの建物ができました」。表情を変えずにいう。先祖は遊佐甚左衛門といった。「自分の本名は遊佐雅宣というのですが、ある時に思いついて、役所に届けて名前を変えました。今は遊佐甚左衛門です」。ふと主人に目をやると、宙の一点を見据えている。半白の髪をした端正な顔が紅潮しているようであった。

翌日は朝から仙台に戻った。伊達政宗の銅像を見せたくてA君を誘うと、レンタカーは嫌だという。気持ちはわかるからタクシーを拾った。運転手は「政宗公の銅像が2つあるのをご存知ですか」という。最初の銅像は東京でつくられ、4日がかりで仙台へ運ばれた。この勇壮な騎馬像は戦時中に供出され、溶解され砲弾に変わった。戦後に釜石で発見されたときは、胸から上だけが残っていた。現在、公園の表にある馬上の政宗像は、初代銅像の型でつくった二代目だというのである。

私たちは両方の銅像を見た。山上にある騎馬像は高々とした場所で、一方、頭だけになった政宗像は、観光客の訪れない公園裏でひっそりと歴史を告げていた。物事には表と裏がある。表はiPhoneでいつでも見ることができる。だが、裏を見るには、それなりの別の行動が必要である。A君がそのことに気づいてくれることを信じて、私たちは山をおりた。

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