囲炉裏の周りに集まって無駄話をすることを炉辺閑話と辞書に記載があった。はたしてここに何を書くのがふさわしいか。私が医師となってからそろそろ40年の歳月が過ぎようとしている。今、思えばNew Zealandの医者生活は医師としての折り返し点であった。
New Zealandの首都Wellington病院に臨床医として勤務した1995年当時、New Zealandの人口は412万人で、現在の川崎市の人口を150万人とすれば、わずかその3倍であった。羊の数はNew Zealand全人口の7倍ほどである。医科大学は2つしかなく、Otago大学は1986年につくられた。私の給料は年収税金込み5万ドルで、当時の為替レートは1ドル60円であった。
私が勤務した小児病棟に空床があっても、稼働率で文句を言われることはなかった。しかし、患者を断ることは許されなかった。稼働率は12月など夏場で50%、7月の冬の繁忙期で80%だったと記憶している。南半球のため季節は日本と逆になる。
入院は家族が子どもと一緒に宿泊していた。あるとき、電話でInvercargillから新生児の腹部膨満を診てほしい、と言われ、直ぐに転送するよう電話で指示した。それが南島最南端に位置する町で、飛行機で2時間かかるとは。思わず恥をかいた。
またある日、大使館に勤務している方から子どもが高いところから転落した。頭のCTをお願いしたい、と日本人の友人を通して連絡があった。病院の受付からGP(Grand Practitioner)に診てもらい紹介状が必要、と言われたが、そのルールを無視して診察した。貴方は日本人を診察するために雇われているのではなく、New Zealand人のために仕事しているんじゃないの、と言われ、ハッと我に返った。
外来で嘔吐があるのでCTをお願いしたが、神経学的に異常があれば画像は必要、頭部打撲で嘔吐は入院させて経過をみるべき。税金を無駄に使用しないでほしい、と苦言を呈され、翌日子どもは病棟を走り回りCT検査をせず退院した。その後、悪性腫瘍患者でCTを撮っておまけにMRIもオーダーしたが、念のための検査はやらないように、と言われた。
術後の傷の消毒も何の意味があるのかと言われ、外科手術の手洗いブラシはどこにも見当たらなかった。週末に自分が手術した患者を診察に行くと当直医に怒られた。趣味はないのか、家族はいないのか、週末はNew Zealandを楽しめ、そんな質問が飛んできた。
日本で学んだ常識はこちらの非常識で、カルチャーショックを覚えた。勤務は朝7時に回診、8時から手術、仕事は午後5時には終わる。それを過ぎると手術が下手だと言われた。
入職から3カ月もすれば皆が優しく指導してくれ、チームの一員になれた。単身赴任の私に週末は食事に招いてくれる人も増え、帰国時は 後ろ髪を引かれる思いであった。住めば都、二十数年経過し、日本では働き方改革が叫ばれ、私のWellington生活が実によく働き方や医療費削減が行われていたと実感する。小児外科医はわずか2人であったが、充実した人生経験を積むことができた。