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六十にして耳順い、六十にして立つ[炉辺閑話]

No.4941 (2019年01月05日発行) P.97

瀬戸泰之 (東京大学大学院医学系研究科消化管外科学教授)

登録日: 2019-01-06

最終更新日: 2018-12-26

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孔子『論語』より。「子曰く、吾れ十有五にして学に志す。三十にして立つ。四十にして惑わず。五十にして天命を知る」。よく知られており、誰しもがその意味を熟知していることと思う。

筆者は2018年還暦を迎えたが、不勉強にして孔子のお言葉その先を失念していた。改めて調べると、「六十にして耳順う」。その意味は、60歳で他人の意見に反発を感じず、素直に耳を傾けられるようになる、といったことらしい。自分に振り返ってみると、まだまだ実践すること自体難しいと感じてしまう。

ところで、孔子が生きたのは紀元前500年前後で、74歳で没したとのこと。その当時の彼の国の寿命を知ることはできないが、その時代に相当する弥生時代では、15歳以上に達した人でも平均死亡年齢は30~40歳だったらしい。いかに孔子が長命であったかがわかるし、長命であったからこそ、先の言葉を残せたのだと思う。いささか乱暴であるが、孔子の時代の寿命を現代に換算すると、「六十にして立ち、八十にして惑わず、百にして天命を知る」となるのであろうか。とすると、自分もまだまだ老け込む年齢ではなく、むしろこれからだと思えてくる。ただ、もちろん、孔子の言葉の大事さを忘れずに、「六十にして耳順い、六十にして立つ」といきたいものである。

最近よく、「昔の70歳と今の70歳は違うよね」という言葉を聞く。ますます高齢化社会を迎えるわが国においては、高齢者であっても元気でいてほしいし、自分も含めて、社会に貢献できる存在であり続けたいと皆思っているのではなかろうか。それにしても、「七十にして心の欲する所に従って、矩を踰えず」の境地に達するのはいつの頃であろうか。

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