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あれから半世紀[炉辺閑話]

No.4941 (2019年01月05日発行) P.13

寺本民生 (日本専門医機構理事長)

登録日: 2019-01-01

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先日、私どもの同窓誌である「鉄門だより」を何気なく見ていて目に留まったのが「東大紛争50周年」という記事である。あれから半世紀がたったのかという、ややほろ苦い思い出が湧き出て、筆をとった。

東大の理科Ⅲ類に入学した私どもは、当然のごとく医師になることが前提であった。ところが、当時入学した109名のうち約90名しか医学科に進学できないと知った。まあ、90%くらいは進学できるのだから、と楽観的な私は全学の軟式テニス部に入部し、それは楽しく過ごした。朝から晩までテニス、夜は皆で飲みにと、遊びまくった。その時の財産が、医師以外のよき友人である。

今も時折旧知の友とひと時を楽しんでいる。ところが、医学部進学が決まる頃に試験結果がきて、びっくりした。当確ぎりぎりではないか!それでも何とか、1968年に進学できて、本郷に行ってみて驚いた。いよいよ医学の勉強ができると胸躍らせていった本郷であるが、先輩たちが怖い顔で、「君たちは今のインターン制度についてどう思っているのだ」というのである。医学部の勉強もしていない私どもはともかく目を白黒させながら、先輩の聞きなれない演説を、ほぼ毎日聞かされ、ついに医学部の教室に入る前にストライキということになった。それからは、慣れない言葉の並んだビラを読んだり、クラス討論会などをしたりする日々が続いた。秋になって、安田講堂占拠だの機動隊導入だのと騒がしい時期になり、私の人生では空前絶後の体験をした。

翌年、東大の入試が中止となり、後輩たちには大変申し訳なく思っている。私たちは、完全に1年遅れて卒業することになり、大学には7年間在籍した。

後日談であるが、研修2年目、第一内科の吉利和教授にお会いしたときに「君たちのしたことは決して間違ってはいないが、大学の研究は、10年は遅れる」という言葉は印象的であった。そのことは、私どもが研究を始めた頃に思い知らされることになった。先達のいない研究は、一からの出直しとなり、本当に苦労した。

今思えば、半世紀前の若かりし頃のことである。

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