2018(平成30)年7月末をもって、医政局長を最後に、35年間の公務員生活に別れを告げた。とりわけ、医政局は今まで20年近く医療行政に連続して携わることになったスタートの局でもあり、退任に際しても2000年以降の医療行政の軌跡とこれまでの勤務を重ね合わせて感慨深いものがあった。健康政策局が医政局と名称変更し、厚生省も厚生労働省として新しいスタートを切ったのは2001年のことだった。このとき、省庁再編により、経済財政諮問会議が発足し、最初の骨太の方針において「医療サービス効率化プログラム」の策定を求めてきたのだった。これに対し、厚生労働省は「医療制度改革試案」を公表した。この試案においては、様々な制度改革案を示すとともに、医療の将来像を示している。これが「21世紀医療提供の姿」であり、ここにおいて、厚生労働省として、効率化一辺倒ではなく、「我が国の医療提供体制について、上記の様々な課題を解決し、一層質の高い効率的なものにしていくことが求められている」、と質の向上を宣言したのだった。私の医政局の仕事はこの将来像の議論から始まったと言ってもよい。以来、質の向上と効率化の同時達成は、論点は変わっても、常に政策論争のテーマであり続けたと思う。
今年、2019(平成31)年は消費税の引き上げが行われ、社会保障・税一体改革の最終コーナーに入る。この一体改革は、まさに医療の充実と効率化を、財源確保を伴いながら同時に進めていこうというものであって、さらに、その際に、かつて国民皆保険を実現したように地域包括ケアシステムの実現という世界で最も進んだ高齢化対応のシステムで他国に範を示そうとしているのだと思う。
厚生労働省を離れることとなったが、長い間医療関係の仕事をする機会を与えてもらえたことに感謝するとともに、多くの関係者の様々なご支援に感謝し、今後ともみなさまの何らかのお役に立てれば、と願っている。