多くの場合、私たちはどちらかに属する。私は2年前の還暦まで関東で勤務医を続けていたが、突然、現役開業医91歳の父が他界し、恥ずかしながら惰性で故郷岡山の開業医となった。他に世継ぎもいないため、今は単身赴任で実家医院のクローザー役を務めている。今回はこの2年間で感じたことを記させて頂く。
勤務医時代:管理職の一員とはいえ、雇われの身は気楽だった。語弊はあろうが、開業医のように医政局とのやり取りや、給与計算をすることはなかった。今思えば安楽なもので、チームの一員として医業に没頭できた。それゆえ、高い品質の医療の提供も実感でき、大いにやりがいを得られた。この頃の私は、国内外の学会・研究会中心の実践学習で、ピンポイントに自身のテリトリーだけに絞った勉強をした。自分本位だが本当に楽しかった。
開業医時代:従業員を抱える、いわゆるボス職。最早気ままではいられず、いきなり面倒な行政手続きに始まり、暗中模索のスタートをした。当然、それにもかかわらず急に全身病の患者さんは来院される。まったく申し送りのない医院継承だったが、幸いにも父が遺してくれた往年の職員、そして電カルが救ってくれた。ここでは、倉敷市医師会や中核連携病院、民間企業が提供してくれる勉強会を通じて知識を増やした。月の半分は21時頃までが、家庭教師付きの学習時間となっている。演者は第一線の方々であるため、私の理解が追いつくかはともかく、学びがないはずはない。分野を問わず最新の耳学問は誠に有難く、日々の診療にすぐ活用できる。実は、この時初めて医師会に入ってよかったと密かに思った。
勤務医時代の拙著のおかげで、いろいろな研究会からお声を頂戴する。特に若者との学習は実に楽しく、むしろ私が彼らからエネルギーをもらっている。良医を育てる一端を担えることは望外の喜びである。
さて、茹でガエルになる前にリタイアすることができるか、上手に計画を立てる頃合いになってきた。地域の患者さんに迷惑をかけたくはない。既に準備を済ませた都内の墓に、ほぼ健康で入れますように、と願う。