昨年8月、軽井沢旅行をした。旧碓氷峠、白糸の滝等の景観、タリアセン高原文庫は趣があった。また、天皇・皇后両陛下馴れ初めのテニスコートを見学した〈昭和34年4月、御成婚パレードを白黒テレビでみた〉。旧三笠ホテル庭園に桔梗が咲いていた。猛暑、熱中症報道は続いたが、流石避暑地、涼しさを感じた。
閑話休題
昭和40年代に呼吸器外科医になった。蔓延した肺結核の治療として胸郭成形術、人工気胸を施行された患者さんもいた。教室の片隅に人工気胸器が置いてあった。抗結核薬、特にRFPの発売以来、前記外科療法は減少した。
自然気胸症例を多く経験した。教室の先輩T先生は「気胸研究会」を立ち上げられた。シンボルマークは「桔梗」だった。これは異色の紳士だったT先生の発案だった。
昭和50年代、浜松の病院に在籍した。手術例、特に執刀例は病棟でwatchした。20歳代のA君の自然気胸の開胸手術をした。初な1年生看護婦Bさんが担当だった〈現在、気胸手術は胸腔鏡下手術が主流で、ナースの呼称は「看護婦」でなく「看護師」になった〉。
「心電図モニターや電話番は僕がやるから、貴女は回復室で血圧、脈拍、ドレーン等の測定、床頭看護をしなさい」と言った。A君の経過は良好で退院した。何カ月か過ぎた頃Bさん曰く、「私、Aさんと結婚することになりました」。驚いた。術直後傍にいてくれ、心強くうれしかった由。言わば、私は二人のキューピッドだった。「気胸」が取り持つ縁、お祝いに「桔梗」を贈ろうとしたが、季節外れの花屋さんになく、残念だった〈桔梗の花言葉は、永遠の愛、誠実、清楚。これを何故か知っていた〉。
天皇は4月30日に退位される。中村草田男の「降る雪や明治は遠くなりにけり」ではないが、昭和も遠くなっていく。両陛下はご高齢にもかかわらず、国内外で慰霊、慰安を多くなさった。頭が下がる。恐れ多い言い方だが、両陛下永遠の愛、誠実、清楚そのものである。