天保14(1843)年、南町奉行鳥居耀蔵の後ろ盾だった老中首座の水野忠邦が失脚においこまれた。
忠邦は幕臣の綱紀粛正と幕府の財政再建をめざして旗本の領地を取り上げる「上知令」を告示した。それまでばらばらだった幕府直轄地を江戸城10里四方に集めて公儀の権限を強化しようとしたのだが、この発令は上級旗本の強い反発を招いて忠邦は老中を免ぜられた。
強力な擁護者を失った耀蔵も、たちまち奉行の座から引きずり降ろされた。洋学者の扱いの不備を追及され、有罪となって讃岐国(香川県)に配流されたのである。
忠邦と耀蔵がいなくなって内田弥太郎は江戸に青空が戻ってきたような心地がした。しかし、肝心の高野長英の赦免は依然として得られない。
その年の暮、『宇宙堂』に届いた長英の手紙には、「わしはこのまま牢屋で老いぼれはせぬ」と不退転の意志が綴られていて、弥太郎はなんとしても師を救いださねば、と気持ちを新たにした。
翌年の夏は暑さがきびしかった。寝苦しい夜が幾日も続いたその夜、弥太郎は、長英が牢番に金をやって剃刀を手に入れる夢をみた。見回りの牢屋同心が頸動脈を斬られ、血飛沫をあげて斃れた。
長英が牢屋の鍵をしきりに開けようとしているところで目が醒めた。
その翌日、「伝馬牢で火事があった」と耳にした。長英さんは無事だろうか、と思っていると、その数日後に当人がひょいと『宇宙堂』に現れたから、弥太郎は肝玉が潰れるほど驚いた。
「牢屋敷に火を放って出てきた」
長英は弥太郎に会うなりそういった。
あの夜の夢は脱獄の予報だったかと思わずにはいられなかった。
「わしはもう牢へは戻らぬ」
長英は旨そうに酒を飲みながら事の次第をつまびらかに語った。
残り1,581文字あります
会員登録頂くことで利用範囲が広がります。 » 会員登録する