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高野長英(11)[連載小説「群星光芒」175]

No.4762 (2015年08月01日発行) P.74

篠田達明

登録日: 2016-09-08

最終更新日: 2017-02-15

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  • 破産寸前の藩財政を立て直したのは家老の調所笑左衛門である。かれは抜け荷(密貿易)によって薩摩藩を救ったのだ。

    財政再建の功労者が長男島津斉彬の異母弟忠教(久光)を後継に推すからには、長男擁立派を圧倒するほどの力がある。

    藩論は真っ二つに割れて紛糾した。

    丁度その頃、英、米、仏の列強が琉球国の開国を迫った。あおりをくらって薩摩藩の抜け荷が公儀に発覚する事態となった。責任を追及された笑左衛門は吐血して体調不良となり、嘉永元(1848)年12月、江戸の薩摩藩桜田藩邸で毒をあおって自殺を図った。急報で駆け付けた江戸詰め藩医能勢甚七は懸命に毒を吐かせたが及ばず、73歳で死去した。

    「能勢の書簡に目を通したわしは、こんな状況では薩摩入りは断念せざるを得ぬと思い宇和島に舞い戻ったのじゃ」

    高野長英は苦笑しながら内田弥太郎に語った。

    嘉永2(1849)年5月から、長英は卯之町の二宮医院で厄介になっていたが、しばらくして「わしはそろそろ江戸へ帰ろうと思う」と二宮敬作に告げた。

    「ついては薬品で顔面を焼いて人相を変えたい」

    だしぬけにいいだしたから敬作は胆をつぶした。

    「そのような無茶はおやめなされ」

    おしとどめる敬作に長英は決然として、

    「人相を変えねば江戸市中には潜り込めぬ。済まぬが硝石精(硝酸カリウム)を用意してもらえぬか」

    「本当になさるおつもりですか?」

    「おぬしも知ろうが古の世阿弥は“初心忘るべからず”を胸に秘めて遂に志をとげた。わしも蘭学によって世の中を変える大志を抱いたからには時節がくるまでなんとしても生き延びたい。密偵の目を欺くには別人になる他ないと覚悟を決めたのだ」

    まもなく敬作は地元の花火師から硝石精を手に入れた。長英はこれを用いて額を腐食させたから端正な顔が眉根のあたりまで焼け爛れて無残な容貌に変わり果てた。 

    残り1,444文字あります

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