日本医師会元会長の原中勝征氏(茨城県医師会顧問、元会長)が7月11日に逝去した。享年85歳。原中氏は平成18年4月から平成20年3月まで日医常任理事を務め、平成22年4月には第18代日本医師会長に就任した。会長在任中は民主党政権とのパイプを生かし診療報酬本体のプラス改定を実現。また公的医療保険制度の一本化を目指し、「国民の安心を約束する医療保険制度」の取りまとめを公表した。平成29年には旭日重光章を受章している。副会長として原中氏を支えた前日医会長の中川俊男氏に思い出を寄せていただいた。
謹んで原中勝征先生のご逝去を悼み、心よりお悔やみ申し上げます。
原中先生が会長に当選された平成22年4月1日の日本医師会役員選挙は、私にとって初めての副会長選挙でもありました。選挙の結果、私も含めて原中先生の推薦を受けていなかった副会長候補三人が当選し、言いようのない緊張感に包まれたことを思い出します。しかし原中先生は、選挙が終わればノーサイドだと言わんばかりの堂々とした立ち居振る舞いを見せられました。原中先生の人物の大きさにどんなに救われたかわかりません。たちまち、役員全員が原中先生に尊敬と全幅の信頼を寄せました。
原中先生は、本当に良い医療制度こそが国民の安心と安全を守るという信念の下、どんな圧力にも毅然として屈せず、日本医師会長としての高い矜持をもって闘いつづけられました。その頃、私は、ある地域の医師会長さんから「歴代会長の中で誰がもっとも日本医師会長にふさわしいと思いますか」と質問され、「お人柄も含めて原中会長です」と即答したことを思い出します。
ご在任中の平成23年3月11日には東日本大震災が発生しました。原中先生は、まさにその当日、日本医師会に災害対策本部を設置して陣頭指揮をとられました。さらに、発災直後には自ら自家用車を運転して被災地に赴き、現場の状況をつぶさに把握されました。その行動力は衝撃的なほどでした。それだけではありません。当時、日本医師会館で被災地に搬送する医療物資の仕分けを行っていたのですが、原中先生自らがそれを手伝っておられたのです。被災者の方に寄り添い、福島第一原発の事故によってご自身の故郷である福島県の浪江町が消滅してしまったと涙を流しておられた姿は、今も忘れることができません。
原中先生はまた、政権交代したばかりの民主党政権に絶大な影響力を持っておられました。政権に対して時に厳しい指摘もされ、総理との面会がいつも予定時間を大幅に超過して、事務方を困らせたものでした。
平成24年度の診療報酬改定では、財務省は大胆にも大幅なマイナス改定を狙っていましたが、原中先生の怒濤の交渉によって、医科本体のみならず診療報酬全体でのプラス改定が実現しました。原中先生のリーダシップの下に実現した中医協委員による被災地の視察及び意見交換も、プラス改定に寄与したものと思います。
原中先生は、本当にやさしい人でした。役員との会食や全国の医師会での懇親会では、強くないお酒を頑張って飲み干したこともしばしばでした。自分が飲まないとみんなに失礼だと思われていたのです。無理はしないでくださいと周りが心配したものです。他人を疑うことも、人のことを貶めることもない先生でした。
医師会長をご退任の後は、ご地元の医療、介護、福祉の全般にわたり力を尽くされたとうかがっています。力いっぱいの充実の人生だったのではないでしょうか。茨城県医師会という決して大きくない組織から、頂点に上り詰め、信念を貫き日本医師会長としてのあるべき姿を示された原中勝征先生に最大の賛辞を贈りたい。これまでのご指導に心から感謝申し上げます。ありがとうございました。
中川俊男 前日本医師会長