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坪井信道(6)[連載小説「群星光芒」184]

No.4771 (2015年10月03日発行) P.72

篠田達明

登録日: 2016-09-08

最終更新日: 2017-02-10

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  • 岡 研介は寛政11(1799)年、周防国平生村(山口県熊毛郡平生町)の蘭方医岡 泰順の5男に生まれた。父の泰順は眼科の名医といわれ、兄の泰安も岩国藩医の侍医となった。研介は剃刀の刃のように鋭い頭脳の持ち主で蘭語の実力もずば抜けていた。

    研介の思考と行動には独特のくせがあり、ほかの塾生からは敬遠されていた。だが信道は4歳年下の研介となんでも本音で語りあった。風采のあがらぬ小男の信道と目鼻立ちの整った美男の研介が親密に蘭語を学ぶ姿をやっかんで、「衆道のようだ」と揶揄う塾生もいたが、気にしなかった。

    あるとき研介はいった。

    「手前も信道さんのように蘭方医への志があります。それには漢学や儒学に通じる必要があると思うのですが、よき師匠がみつかりません」

    信道は助言した。

    「わしは豊後日田の三松斎寿先生と広瀬淡窓先生に詩文や漢文を学んだ。両師ともに徳のある人格者でずいぶん啓発された。また筑前福岡には儒学の大家亀井昭陽先生がおられるときいた。このような師の許でみっちり修業してから蘭方を学ぶのはどうか。わしも中井塾を出たら大家が雲集する江戸で蘭方医の修業をする心算でおる」

    そうでしたか、と研介はうなずき、

    「手前も西海道(九州)へ行って良き儒者に学び、それから長崎で蘭方修業をいたします。信道さんとはいずれ江戸でお会いしましょう」

    やがて研介は周防(長州)の実家に帰省することになった。別れにさいして信道は親友となった研介と固い約束を交わした。

    「10年後に必ず江戸の地で再会しよう」

    信道は文化14(1817)年に中井塾を辞すると、いったん豊後日田へもどり、師の三松斎寿と広瀬淡窓に再会して江戸に遊学することを告げた。

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