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佐藤泰然(2)[連載小説「群星光芒」224]

No.4812 (2016年07月16日発行) P.70

篠田達明

登録日: 2016-09-08

最終更新日: 2017-01-23

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  • 「川南一番登り」と称する庄内藩直訴隊の7人が江戸に辿りついたのは天保11(1840)年12月初めだった。

    かれらは馬喰町の旅籠大松屋に草鞋を脱ぎ、宿を根城に公儀に訴状を差し出そうと機会を窺った。しかし庄内弁で辺りをうろつく一行を怪しんだ大松屋の番頭が密かに神田橋の庄内藩邸に通報した。

    藩邸留守居役年寄の大山庄太夫は一行が直訴を企んでいると察して大松屋に往き、川南衆の説得に当たった。

    「直訴は天下の大罪である。誰も生きては帰れぬ。本来なら当藩にても全員投獄だが御情け深い殿様はこのまま帰国いたすなら一切罪を問わぬと仰っておられる。穏便な御沙汰のあるうちに江戸を去るがよい」

    だが一同は肯んじなかった。

    「大恩ある殿様がむりやり国替えさせられるとあっては黙って見ちゃいられねえ」

    「わしらは命を捨てるつもりで江戸にやってきたんじゃ」

    庄太夫は皺の寄った額に汗をうかべて説いた。

    「お前たちの心がけは真に殊勝だが領民が首を突っ込んで解決できる事ではない」

    「じゃあ、わしらは何をすればよかんべ」

    「藩はいま上下を挙げて領知替えを止めさせるべく大わらわじゃ。拙者も懇意にしている庄内藩遊佐郷出身の佐藤藤佐殿に転封中止の働きかけを頼んだところだ。ここでお前たちが手出しをすれば事は混乱するばかりである」

    「藤佐とは、あの悪童だった升川村の佐藤藤助のことか。あいつは村を追ん出された鼻つまみでねえか」

    「それが今では旗本衆にもその名を知られた腕利きの公事師である。一介の農民だったが御家人株さえ手に入れておる。酒田の豪商本間家とも親密なつながりがあり、南町奉行にも顔の利く頼り甲斐のあるやり手なのじゃ。藤佐殿の子息佐藤泰然殿は薬研堀に医院を構えた評判の外科医でもある。お前たちの嘆願状を当藩から直に公儀に差し出すのは憚られるゆえ、藤佐殿から柳営の要路に渡すよう頼んでおこう。お前たちは郷里へ帰って吉報を待つがよい」

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