医師は労働者か。
研修医は労働者であり労働基準法 (1947) に準じなければならない(最高裁判例、2005)。しかし、一律に労働基準法の労働者と認めるものではなく、病院開設者の下で労務遂行した場合に限るのである。現在、「働き方改革」の一環として医師の働き方についての政府検討会が提案した内容をみると、医療界の現状を追認し、医師の時間外労働は「医療の特殊性」を考慮して、一般勤務医は年間960時間、地域医療のための例外措置と研修医は年間1860時間が検討されている(2019年4月)。2019年度から施行された一般労働者の時間外労働時間上限は月45時間、年360時間が原則である。臨時的事情があれば年720時間以内、複数月平均80時間以内、単月100時間未満とする。ちなみに、過労死認定の時間外労働時間数は月80時間である。医師の労働時間制限に提案された数値は、過労死認定時間数以上の数値になる。これに合点がいくであろうか。
人間としての医師。
医療の実践は人間対人間の営みである。医師の医療行為は法的に労働基準法に基づく「労働」である。しかし病者はいつ、いかなる時でも治療処置を要する。それに対応するために猶予はない。したがって、労働時間は不規則になりがちであるし、過重労働を強いられるのが現状である。過重労働に伴う疲労や睡眠時間短縮は、医師としての知的思考力を極度に低下させる。それは医療の質に影響する。医師の労働は生身の人間の行為であることを忘れてはならない。
開業医は労働時間、すなわち、診療時間を自己規制している。原則として往診は行わない。夜間の急患は地域医療体制の枠の中で、救急医療機関が担当している。
勤務医は確かにハードワークである。連続勤務になることが多い。しかし、人間にとって休息は必要である。労働後には休息をとってこそ、次の労働を健全に遂行できる。欧州連合(EU)が実践している11時間インターバル労働制は賢い知恵である。人間が「ワーク・ライフ・バランス」を保った労働人生を歩くことは、基本的人権である。
医師の使命。
医師は使命感をもって医療に従事している。病者が来院すれば身を犠牲にしても診療に当たる。「自分の時間を他者のために使う心」を持っている。利他心である。そこには使命感と労働の融合がある。医師には応召義務(医師法19条1項)があるとはいえ、いつでも受診できると期待する権利は、患者にはない。受療者は責務を持つことを自覚すれば、クレーマーの存在はありえない。患者も医師も互いに尊敬し、労りの心を持って対応しなければならないのである。
医師における労働イノベーション。
労働はいかにあるべきか。国際労働機関(ILO)は「働きがいのある人間らしい人間の仕事(Decent Work, ILO 1999)」を提唱した。そこには人権が確保されて人間として尊重され、健康で文化的な生活が確保されて、仕事に喜びと価値観をもって従事できる労働生活がある。労働の質(quality of work:QOW)が保たれれば、労働者は健康生活を持ち、労働成果の質が向上する。
医師の労働生活を考えるとき、医師が心身の健康を保持し、幸せを感じて持続的に働ける労働時間を設定する。現在の労働態様を追認しての規制ではなく、抜本的に医師の働き方を見直して大きく変革しなければならない。医療の手順や処理の仕方など、従来の慣習化した働き方を抜本的に見直して変革することこそ重要である。その原点は、人間を大切にする人間らしい人間の仕事であるべきで、根底には人権尊重がある。
医療は医師でなければできないことばかりなのか?看護師・保健師教育では、高度な学識を持つように教育カリキュラムが組まれている。また、薬剤師教育課程は4年から6年へ延長した。それによって得られた知識や技量を医療現場に十分活用させれば、彼・彼女らには仕事へ誇りと喜びが生じ、意欲を持って労働に従事できるので、QOWが向上すると思う。しかし現状は、彼・彼女らの能力を十分に生かし切れていない。したがって、医療法や医師法に定められた「医師がやるべき仕事」を抜本的に見直して、医師の仕事を看護師、薬剤師、事務職などの他職種に振り分ければ、医師は患者との接触時間や研修時間が増して質の高い診療ができると考える。
明日に働く。
医師の仕事は、人々の豊かな生涯を支援する崇高な仕事である。それは天命とも言われる。そのために、医師は自身の心身を健康に保って、医療の質を維持していかねばならない。
患者も自分自身が良質な医療を受けうるように、医療の現状と近未来を理解して、新しい医療体制のあるべき姿を医療者とともに構築すべく協力・努力してゆく姿勢が大切である。「三方よし」という近江商人の箴言は、医療の世界にも通じる。医療者も受療者も幸せと感じるようになり、世間も明るくなることを願いたい。