今回、元号が令和に改まって最初の「相馬野馬追」を案内頂いたのは、福島県南相馬市で歯科医院を開業している加藤悟郎氏と奥様の由美子さんである。加藤さんご夫婦の娘さんと私の息子が令和元年6月15日に結婚式を挙げ、夫婦となったからに他ならない。加藤悟郎氏に「相馬地方伝統行事の野馬追を是非見物したい」と申し上げたところ、「喜んで案内します」ということで、令和元年7月27~28日にかけて福島県では浜通り地方と言われている相馬方面を、妻の富士子と一緒に訪れることになった。7月27日は旧伊達領である新地町のとある旅館に宿泊したが、夜半から28日の明け方にかけて台風6号が福島県を通過したため、叩きつけるような雨音で目が覚めたところに、午前3時頃、三重県沖を震源地とする地震にも見舞われた。幸い被害はなかった。
7月28日はまずJR原ノ町駅に行き、駅構内で甲冑の試着を楽しんだ。鎧はアルミ製でできてはいるが、兜はさすがにズシーッと重かった。午前中は「御行列」見学に向かった。甲冑や旗指物を身に着けた騎馬武者達が次々と勢ぞろいし、行軍の順番を待つ。由美子さんが言うには、相馬野馬追には守らなければならない2つの不文律があるのだそうだ。決して行列を横切ってはならない。もうひとつは、行列を高いところから見下ろしてはいけない。加藤悟郎氏も運転しながら「この相馬野馬追の3日間はお馬が一番偉いのです。お馬さん第一なのです」と話していた。トランプさん風に言えば、「Soma-Nomaoi, Horse First」とでもなろうか。実際、馬が3頭農道を通って集合場所へ向かっていたときも、後ろから車で馬列を追い抜くことはなかった。
途中で軍師という立場の中之郷騎馬会長の中村三喜氏(71)に挨拶申し上げた。中村氏は家来に向けて「道中気を付け、武運をお祈りする」などと大きな声で檄を飛ばしていた。戦国時代の戰場そのものの雰囲気である。相馬中村神社から出発した北郷・宇多郷からの行列に相馬中村藩総大将相馬行胤氏(三十三代当主相馬和胤氏の長男)の凛々しい姿があった。
午後は甲冑競馬と神旗争奪戦見物である。昨夜の雨で湿度も高く、雲雀ヶ原祭場地コース内にはぬかるみがあちらこちらにみえた。最上階の桟敷席からゆっくりと見物することができた。目に飛び込んでくるものは疾走する馬と騎馬武者、耳に聞こえてくるものは地面を揺さぶるような馬の疾走音と法螺貝の音。鼻に届くは馬糞のにおい。このあまりにも非日常的な光景に圧倒された数時間であった。伝統行事や祭り文化を失ってしまい歴史臭のしない町に育った小生にとっては強烈な印象を残した“Horse Firstの軍事絵巻”であった。