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感動的な再会[エッセイ]

No.4994 (2020年01月11日発行) P.62

小井土雄一 (国立病院機構災害医療センター・厚労省DMAT 事務局長 )

登録日: 2020-01-12

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昨秋、感動的な再会を果たした。再会の機会は偶然訪れた。昨年11月にASEAN10カ国による合同野外災害訓練がインドネシア、バリで行われた。私はこの訓練を開催するARCHプロジェクト(JICAのASEAN災害医療連携強化プロジェクト)の一員として参加していたが、インドネシアのホストメンバーに、私が1994年にJICA熱傷専門家として現地の病院に派遣されたときに、カウンターパートになって頂いたヘンドロ先生がいらっしゃったのだ。

訓練当日、打ち合わせをしていたときに、ヘンドロ先生が、昔、日本人医師と働いたことがある、という話になり、詳しく聞くと1994年メラピ山が噴火して多数の熱傷患者がでた際、日本から医療チームがきて一緒に治療したという話であった。私は「そこに居たのは私だ!」と叫んでしまった。お互いに顔は忘れていたが、アルブミン製剤などを日本から送って貰う算段を一緒にしたことなどは、お互いよく覚えており、25年ぶりの再会を喜びあった。この再会が非常に感慨深かったのは、私にとっては単なる再会ではなく、自分の人生の分岐点との再会でもあったからだ。

この派遣は、私にとっては稲妻に打たれたような衝撃的な経験であり、その後の人生を決めた出来事であった。当時、救急医になって10年目、救命救急センターから外に出たこともなく、疲れが出はじめていた自分にとって、この派遣は自分を医療の原点に戻してくれる経験となった。派遣で初めて会った仲間が、何のしがらみもなく、同じ目標に向かってただひたすら邁進する経験はすがすがしく、自分がなぜ医者になろうと思ったかを思い出させてくれた。もちろん、派遣の目的の第一義は被災者救済であったが、自分自身にとっても、医師としてリセットされる経験であった。

1カ月に及ぶミッションを終え、帰国した際には、身体的にはへとへとであったが、精神的には明日からの仕事に、前にも増した闘志を持っていたことを覚えている。それは国際救援、災害医療をライフワークにしようと決意した瞬間であった。メラピ山の経験がなければ、今の自分は存在しない。今回、ヘンドロ先生と再会し、当時の思いも蘇った。私も65歳まで残り3年あまり。勤務医であると定年後のことを考えてしまうが、初志貫徹で最後まで純粋に災害医療に身を捧げようと改めて決意する良い機会となった。

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