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水俣病と医学者の役割 [プラタナス]

No.4737 (2015年02月07日発行) P.3

花田昌宣 (熊本学園大学水俣学研究センター長)

登録日: 2016-09-08

最終更新日: 2017-03-09

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  • 熊本学園大学では、水俣病研究の第一人者であった故原田正純医師の提唱に基づき水俣学研究センターを設置し、水俣病という人類の負の遺産を将来に活かすために学問領域を超えた研究を行っている。その基本は「現場を大切に」である。

    水俣病は、発生確認以来長きにわたり研究が続けられてきたが、今日に至るもなお、解決したとは言い難い状況が続いている。その発生初期に現場を歩いた医師たちがいた。

    1956年5月1日、チッソ附属病院(新日本窒素肥料水俣工場附属病院)小児科の野田兼喜部長は、細川一院長と相談の上、水俣保健所に原因不明の中枢神経性疾患の発生を届け出た。これが、水俣病発生の公式確認の日とされている。

    後年、野田医師が語ったところによると、同年4月21日に田中静子さん、1週間後に妹の実子さんが受診した。脳症様症状を呈しており、発熱、項部硬直はないが運動失調が見られた。子どもであるから自分の口からしびれがあるとの訴えはなかったが、診察するとすぐにわかった。届出は野田医師が伊藤蓮雄保健所長に口頭で報告したという。

    田中姉妹の母アサヲさんが近隣にも同様の患者が何人もいることを告げたため、野田医師は熊本大学小児科の長野祐憲教授と連絡を取りつつ、毎日のように患者発生地域を訪問していた。

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