本誌の5000号発刊を大いに慶賀申しあげる。小職はかつて重松逸造先生(当時、放射線影響研究所理事長)のご指示で、日本の疫学研究100年史をまとめたが(「日本の医療と疫学の役割」克誠堂出版, 2009)、その時基本情報として最も頼りになったのが貴誌である。当時は和歌山医大で勤務していたので、週末には医大図書館に籠り、戦前戦後を通じて、創刊号から貴誌の全巻を通覧し、必要な情報を得た。特に1月の「炉辺閑話」と夏の「緑陰随筆」には瞠目すべき論文が多く、布施田哲也氏の意見(医事新報. 2019;4941:84)にまったく同意である。
中でも、個人的に佐藤正(1891~1951)の著述には大いに示唆を受けた。佐藤は医学人名辞典では10行程度の記述になってしまうが、日本の結核疫学研究の先賢であり、内務省技師から日赤病院長も務めた人物である。まだ疫学の語が術語として定着する以前に、農村における結核の実態を「疫理学」として1929年に解析し発表している(本邦農村に於ける結核の疫理学的考察. 結核. 1929;7:1-28)。佐藤は姓も名前もポピュラーであるため、医学者にも同名異人が多数いると思われるが、1999年の東海村JCO事故の対応で活躍した佐藤正氏(当時、茨城県ひたちなか保健所、大宮保健所)とは無論別人物である。
佐藤の59年間の生涯で、貴誌への投稿は数ある。いずれも簡にして要の文体であった。その中でも小職が特に印象深く思い出すのは、「死の凜気」と題された小論である。あるいは、自身の終末を自覚した執筆であったかも知れない。我々が医学生の頃は、医師国家試験の正答例を求めて、貴誌を閲覧する、答え合わせとしての実質的な目的があった。この佐藤論文には、医学史に興味を持ちはじめた頃の自分には、それこそ凛冽の気というか、医師、医学者としてこの先の人生に投影される示唆を冗長な表現なく、コンパクトに示した力強さを感じ、インパクト・ファクターは表示されないながらも、わが国の医学の話題に深く感ずるものがあった。
今後も貴誌が時代を切り開く時をシンクロして体験していきたいものである。